「旋律の風に抱かれて ”Season" it’s me」〜雄弁な肉体〜

しばらくこの日記をご無沙汰しておりましたが、生きております。例によって、北京に出張しておりました。出張前のインプットも含めて、随分ネタが溜まっているので、そろそろ吐き出さねば。リストアップしてみますね。

・5月27日、埼玉オペラ協会でご一緒した、Mさんが出演されるダンスパフォーマンス「旋律の風に抱かれて “Season” It's me ・・」を見に行く。無闇に感動。
浅田次郎さん「王妃の館」読了。ユーモアお涙歴史カルチャー小説。これじゃお好み焼きですがな。
・北京行きの飛行機で、「ナイロビの蜂」を見る。友人のOgiちゃんもブログで言ってたけど、もうちょっと邦題は考えた方がよかったね…

今回の北京紀行についても、ぼちぼちと書いていきます。今回も、色々と考えさせられることは多かったです。でもまずは上のインプットから消化してまいりましょう。最初は、ダンスパフォーマンス「旋律の風に吹かれて」から。
 
第一部「"Season" It's me...」(構成・演出・振付:岩下佳代)

篠本恵美/岩下佳代/橋本さとみ/渡辺弘子/三村みどり

第二部「Solo performance」

Violin:古久保 有亜/Piano:碇 里佐
篠本恵美/岩下佳代/橋本さとみ/渡辺弘子/三村みどり

照明:井口 眞/舞台監督:山口勝也/音響:松山典弘/衣装:魔加世/制作:渡辺弘子
 
という構成・布陣でした。
 
本格的なプロのダンサーさんたちによるダンスパフォーマンス、というのは、ほとんど見たことがなかったんです。今回、Mさんからお誘いのメールが来て、これはいい機会だと思い、チケットを確保していただきました。

吉祥寺シアターという場所、初めて行ったのですけど、いいですねぇ。間口が随分広くて、色々と遊べそう。客席はほぼ満席で、やっぱりダンスをやってらっしゃる女性の方がほとんど、という感じ。

舞台は、第一部が、「雨」をメインテーマに、4人のダンサーがそれぞれにつむぎだす、季節を巡る個別の物語が、「雨」を象徴するダンサーさんの存在によって一つの糸に紡がれていく物語。それぞれのダンサーが持つ象徴的な事物(傘、薄いショール、黄色い大きなボール、カスタネット、透明な胴体だけのマネキン)と、ダンサーの肉体、そして音楽と照明が、一言の言葉も差し挟まれない空間の中で、それぞれの季節をイメージさせる豊穣な物語を雄弁に語っていく。はかない昆虫の生と死、生まれたばかりの無垢な命、暑さと苛立ちと情熱、そして、いくつもの別れに傷ついた心…全てを包み込む優しい雨の中で、時に繊細に、時に静謐に、そして時に強烈に、ドラマティックに語られる物語世界。ラストシーン、同じ旋律の中で、4人のダンサーが、それぞれの「言葉」を肉体だけで叫びながら、真っ白な衣装が美しいオブジェになって凝固した瞬間に、なんだかものすごく開放されたような、胸が熱くなるようなカタルシスがありました。何かに救済されたような、「ああ、よかった!」といいたくなるような。あの満足感は何だったのだろう。予定調和、でもない。猛烈な感動、というのとも少し違う。ただ、何かしら、心の中に、ふわん、と、ものすごく爽やかな空気が広がったような、そんな満足感。多分、「昇華」という言葉が一番しっくりくるのだけど、そんな言葉で括ってしまうのも、なんだかはばかられるような、そんな豊かな幸福感。

第二部は、ヴァイオリンによるツィゴイネルワイゼンのソロで幕を開け、ピアノのソロ、そして、それぞれのダンサーによる、ソロや群舞の短いパフォーマンスと続きました。ジャズダンスあり、モダンバレエあり、ヒップホップ系のノリノリのダンスもあり。Mさんがデュオで踊った小品は、なんだか切ないユーモアでくるんだ、優しい友情物語。本当にバラエティ豊かなメニューで、最後まで楽しませていただきました。

Mさんの体のキレのよさは勿論のこと、「踊るための肉体」をきちんと完成させたパフォーマーが、「踊ることによって語る」姿の、なんて素晴らしいこと。パフォーマンスの間中、BGMの曲の歌詞以外、一切の言葉は発せられない。こういうパフォーマンスには全然門外漢なんですけど、「言葉」というコミュニケーションに束縛されない肉体だけのコミュニケーションの純粋さ、雄弁さに、なんだか圧倒されてしまいました。

以前から、この日記には何度も書いていますけど、舞台表現には一種の階層構造があるような気がしています。まず、身体、というコミュニケーションツールがあり、身体が、言葉というコミュニケーションツールを発する。その2つが統合された表現形態としての、舞台表現があり、さらにそれに、音楽というコミュニケーションツールを加えたオペラという表現形態がある。そういうピラミッド構造の中で、全ての表現形態の基礎であり、最も抽象性が高く、最もトレーニングを必要とし、そして、最も雄弁な表現形態が、身体なんじゃないか、という気がしています。その抽象性の高さと、身体による表現能力を身に着けるためのハードルの高さゆえに、舞台に立つ多くの人が、身体表現というツールをおろそかにしがち。特にオペラ歌手という方々は、歌うためのフォームを作ることに注力するあまりに、身体そのものの表現力をおろそかにする傾向がないかしら。ダンスパフォーマンスに感激してしまう自分自身が、そういう罠にはまってないかしら。そんな自省も抱えながら、充実感一杯に劇場を後にしました。誘ってくださったMさんはじめ、出演者のみなさま、本当にお疲れ様でした。これからも素敵な舞台を作っていってくださいね。