今日はいろいろと

おかげさまで、4万アクセスを超えました。毎度くだらない独り言にお付き合いくださってありがとうございます。だからって言って、何か特別なことするわけでもなく、例によってくだらないネタを並べております。今日は特に、くだらない日常雑感を、テーマも絞らずダラダラと。
 
・「裏庭」

我が家の裏手に隣接する市の土地を購入した、という話、以前にも日記に書きましたよね。先週末、リフォーム業者さんが来て、裏側にある機動隊の駐車場から、桜の木をクレーン車で飛び越して、土をぼこぼこ運び込み、造成工事が終了。我が家に、5坪ほどの裏庭が出来上がりました。桜の頃には絶好のお花見スポットです。

娘の部屋の窓から、工事の様子を眺めていると、手際のよさよりも、手順をきちんと守っていることに感心する。舞台の裏スタッフというのもほとんど感覚的には大工さんなので、共通する感じがあります。例えば、クレーン車から降りてくる土を盛った袋を、人がきちんと受け止められるように、必ず一旦空中で静止させる、とか、袋を人がきちんと捕まえて、おろす場所が決まってから、ゆっくり地面まで下ろす、といった一つ一つの手順が何度も繰り返されるのだけど、決して「慣れ」による手順の省略、なんてことがない。要するに、危険と隣り合わせの現場だから、手順を守らないこと=命に関わる、ということなんですね。一つ一つの手順にきちんと意味があり、無駄がない。舞台の裏方をやる人間としては、こういう現場ってのが理想だよなぁ、と思いながら、半日、飽きもせず眺めていました。

現場に一人、年配の作業員さんがいて、なんだか現場全体ににらみを利かせている感じがあって、それもいいなぁ、と思った。若い作業員さんばっかりの工事現場って、ちょっと不安になりますよね。
 
・「口と耳のお話」

娘の学校には、礼拝の時間、というのが毎週水曜日にあります。まぁ、全校朝礼みたいなもんですね。牧師さんでもある校長先生から全校生徒にお話がある。で、昨夜、娘が、今週のお話の内容を説明してくれました。

「口は一つ、お耳は二つあるでしょう?どうしてだか分かる?」
「どうして?」
「神様が、おしゃべりするよりも、人のお話を沢山聞きなさい、ということで、口は一つだけ、耳は二つ、人間に下さったんだって。」

校長先生のお話、というのは、そこが中心にあったわけじゃなく、「だからおしゃべりに夢中になってないで、道を歩くときにはちゃんと注意するんだよ」ということだったんですけどね。娘には、「なぜ口は一つ、耳は二つあるのでしょう」というなぞなぞ部分とその答えが「ほほお」と印象に残ったらしい。

校長先生のお話は、父兄にプリントにして配られるのですが、それを読むと、非常に直裁な言い方で、「道を歩いていて、おしゃべりに夢中になることで、自分が話しかけているお友達の命を危険にさらしているかもしれません。つまり、あなたのおしゃべりによって、人が死ぬ、ということなんです」という表現があって、ちょっと驚く。女房と、「ただ、『お行儀が悪いでしょう』とか、『周りの人に迷惑でしょう』なんていう抽象的なことや外面的なことではなくて、そういう一つ一つのお行儀や躾が、人の生死といった本質的なことにつながっているんだよ、という教育方法っていうのは、これはこれでとても大事なのかもね」、という話をしました。

工事の話と共通しますね。要するに、生活の中での「基本動作」「基本手順」にはそれなりの理由があって、その理由というのは、人間の命、という非常に本質的なところにつながっているのかもしれません。ただのお行儀、ということではなくて、もっと大事なことなのかも。
 
・「ふくろうのこども」

最後は親ばかネタ。
子供の指に、小さな水イボが、ぽっちりできました。

「ポチが出来たよ」
「あんまり触らないようにね。すぐ治るから」
「治るのかなぁ。xxはね、これは、ふくろうのこどもじゃないかと思うんだけど」
「ふくろう?」
「ほら、黒くて、ぽちっとしてて、顔とかに出来てる…」

ほくろのことでした。ほーほー。