○○ッ○のお作法

人間の生まれ育ちが明確に出てしまうのが、食事の場面だ、という文章を読んだことがあります。アラン・ドロンが出ていたCMのシリーズがあって、何をやらせてもかっこいいのだけど、唯一、食事をする場面だけがやけに貧相に見えた、という文章を読んだことがある。アラン・ドロン自身がそれほど上流階級の出身じゃないので、一生懸命「上品な作法に従って」食事をしようとする努力が透けて見えちゃったらしい。

食事の作法に品格が出る、という話になると、いつも思い出すのが、太宰治の「斜陽」。貴族のお嬢様である「お母様」が、スープを召し上がる時に、スプーンの先からひゅいっと飲む、それが全然お作法に沿ってない無茶苦茶な様子なのだけど、「お母様」がやると、すごく嫌味なく、上品に見える。

要するに、そういう生理的行動ほど、育った「環境」や家庭の雰囲気が露骨に現われる、ということなんですね。その動作が行儀作法に沿っているかどうか、ではなくって、その人自身が生まれ育った周囲の様子が、生理的行動であればあるほど、自然に現われてしまう。

自分の娘に食事の作法を教えていても、自分ができていないお作法はなかなか伝わらなくて、結局、子供も親の動作をそっくり真似てしまう…ということがあります。私は食事中に、左手をちゃんとお皿に添える、というのが苦手で、左手はテーブルの下にあって、右手だけで食べちゃうことがある。女房にしょっちゅう怒られるんですけど、最近、娘が私と同じように、左手を下にして右手だけで食事して、女房に同じように怒られている。こういうのって、親は意識していないのに、いつのまにか子供に伝わっていきますから、ほんとに怖いです。

上品、とか、お行儀、というのとはちょっと違うんだけど、お風呂に入って体をどこからどういう順番で洗うか、なんてのも、子供は結構いい加減。「こういう順番で洗えばいいでしょう?」なんて教えてみるんだけど、これがまた、私と女房で全然違う順番だったりする。それぞれ育った環境で、体の洗い方まで違って来るんだなぁ。

なんでこんなことを書いているか、というと、ちょっと品のないお話になりますが、トイレでのお作法、というのが、人それぞれだなぁ、と以前から思っていたから。特に男性の場合、小便器が並んでいる、というオープンな場所で、隣の人がどういう姿勢やどういう方法で小便をしているか、というのがよく分かるものだから、結構人によってやり方が違うのが分かる。大きく分けると、ズボンのチャックだけを開いて、モノを外に取り出してオシッコする人と、ズボンのベルトもはずして、ズボン自体を下ろして、パンツ全体を露出させた上で、おもむろにモノを取り出してオシッコする人。数的には当然、前者の方が多くて、私も前者なんですけど、意外と後者の数も多い。面倒臭いと思うんだがなぁ。ズボンとかを汚さないようにっていう配慮なのかなぁ。みなさんはチャックのみ派?それともズボンごと派?

最近は、この男性の「立小便」という文化が次第に廃れてきて、男性でも、洋式トイレで座って小用を足す方が増えているそうです。確かに、「命中率」とか、「事故率」とかを考慮すると、座って小便する方が安全だよね。安全のために男子の特権を捨てるのか。それでいいのか日本男子。雪の上に小便で名前を書けるのは男子だけなんだぞ。ううむ、大問題。

トイレといえば、独身時代、会社の同僚と、「彼女いるの?」なんて話題をしていた時に、その同僚が、

「そういうプライベートな質問はね、一種、『トイレの個室でうんちをする時、何をしていますか?』って聞いているのと同じくらいに個人的な質問だと思うんだよ。」

とマジメな顔で回答拒否してきて、面白いたとえ話だなぁ、と感心したことがありましたっけ。なんだか今日の日記の後半は、やけにお下品な話になっちゃった。こういう所に、私の育ちの悪さが出ちゃうんだよね、ということで、許してつかーさい。