カルメン演出基本パターン分類

昨日に引き続き、カルメンねたです。伊藤明子さんの演出について、自宅で色々と女房と話しておりましたら、オペラ通の女房が、「ではキミに、カルメンの演出における基本パターンを教授して差し上げましょう」と咳払い。以下、その女房の講義内容のメモです。著作権はウチの女房に属します。

カルメンの演出は、ホセをどうとらえるか、カルメンをどうとらえるか、という演出意図と、その組み合わせで、いくつかのパターンに分類できる。歌い手の個性によって微妙な相違はあるが、大まかにいって、ホセの捉え方に2つのパターン、カルメンの捉え方に2つのパターンがあり、その組み合わせで4つのパターンがある。それぞれは以下の通りとなる。
 
<ホセの類型>
(1)ボクまだママのおっぱいが恋しいの、彼女にはボクのパンツ洗ってほしいの、いい?というホセ(マザコン型)
(2)女はみんなオレについてこい、オレの言うことを聞きやがれ!というホセ(マッチョ型)

カルメンの類型>
(1)今までずっと私は虐げられてきた、でもいつかのし上がってみせる、いつかこの境遇も終わって、輝く未来が待っているんだ!というカルメン(未来志向型)
(2)あたしゃ何もかもから自由なんだ、何かに服従するなんてふざけるんじゃないよ!というカルメン(自由志向型)
 
4つのパターンのそれぞれに、それぞれのホセがそれぞれのカルメンに惹かれる必然がある。それが、この「カルメン」という演目に、多様な意味づけを可能にする普遍性を与えている。以前、この日記で、「カルメンがラストシーンで、自らホセのナイフに飛び込んで、自分から死を選ぶように見えるのに、違和感がある」ということを書いたことがあります。それは多分、私の中で、カルメンの類型を(1)の「未来志向型」、上昇志向の強い女、という類型で捉えていたせいでしょう。そういう解釈も、アリなんですね。

実際、カルメンの類型が、「未来志向型」で捉えられた場合、ラストのカルメンは最後まで生に執着する演出になるそうです。その実例が、コヴェントガーデンで、フォン・オッターがカルメンを演じた舞台。血まみれのカルメンがのたうちまわりながら、自分の命に執着する姿は、ほとんど「女殺油地獄」じゃないか、と思わせるような凄惨なものになったそうな。

女房に言わせると、「ホセが『マザコン型』で、カルメンが『自由志向型』の組み合わせの場合、カルメンは間違いなく、ホセのナイフに自分から飛び込みます」とのこと。なぜなら、「ホセには、自分からカルメンを刺し殺す勇気もないからです。」なるほど。

男と女のバトル、という対決関係が先鋭になるのが、マッチョ型のホセと、自由志向型のカルメンの組み合わせだそうです。確かに、「オレの言うこと聞け!」と吠えるホセと、「ふざけんじゃないよ!」と喚くカルメン、というのは、これは大変なことになりそうである。実現してるかどうか知りませんが、例えば、ホセ・クーラとアグネス・ヴァルツァの組み合わせ、なんてことになると、これは相当ヴァイオレンスな状況になりそうな感じがありますねぇ。見たいような見たくないような。

ちなみに、女房によれば、「おっぱい恋しいの、ボクのパンツ洗ってほしいの」のホセの代表格が、ニール・シコフだそうです(^_^;)。ニール・シコフには、カルメンの本番舞台のラストシーンで、演技がきわまって、本当にカルメン役の歌手を刺して怪我させた、というエピソードがありますよね。少し冷静になろうよ。