経営者という寂しい人種

昨日はばたばたしていて日記の更新ができず。最近、平日の夜に埼玉オペラ協会の練習が入ることが多いので、あんまり時間に余裕がないんです。昨夜も仕事を早めにあがって、新宿近辺で、今回の舞台の小道具だの、衣装だのを仕入れておりました。上司に呑みに誘われて、「先約があるんで」と言うと、「なんだ、夜の予定はもう詰まってます、なんて、女の子みたいなこと言いやがって…」とプリプリ怒って立ち去っていく。こうやって私のサラリーマン人生が毀損していくんだなぁ。すちゃらかすちゃらか。

米国において、ホワイトカラーの高所得者層の労働時間が極端に長くなっている、というのが、ビジネス誌に取り上げられているのを読んだことがあります。会社にいようが家にいようが、ネット経由で飛び込んでくる仕事に追いまくられ、週末のプライベートの時間なんかほとんど取れない。給料は無茶苦茶いいんだけど、家庭は崩壊している。夫婦そろってそういう生活だから、子供の面倒は家政婦さんにまかせっきり。米国において、貧富の格差が拡大している背景には、富裕層の超人的な勤務実態がある。そういう激務に耐えられない人は、負け組、ということで、貧富の「貧」の側に転げ落ちてしまう。でも、それって、幸せなの?

会社の経営層は、「趣味の時間もいいけれど、やるべきことやってこその趣味だろう」と言います。その「やるべきこと」の敷居をどこに置くか、で、会社におけるポジションが変わってきます。米国型の実力社会に次第にシフトしている現代日本においては、立身出世して経営層に近づけば近づくほど、米国の高所得者層と同様の激務が待っています。経営層になった以上、「やるべきこと」=自分の24時間を会社に捧げること。趣味の時間も大事に、なんて言っている人は、経営者になる資格はない。経営者になる人は「僕の趣味は仕事」と言い切ることのできる一握りの人たち。そういう人たちだけが、高い給料をもらう資格があり、そういう覚悟のない人には、相応の報酬しか与えられない。日本も次第に、そういう二極化が進んでくるのかもしれない。

文化活動の維持、という観点から見ると、実はこの構造というのは、致命的なもののような気がします。文化活動というのは生産活動とは無縁の活動ですから、労働時間とは別の、余暇の時間に、経済活動で得られたお金を使って参加したり、楽しんだりするものですよね。つまるところ、舞台に限らず、おしなべて、あらゆる文化活動は、お金だけではなく、「時間」という財の消費も伴います。でも、「お金」という財を持っている高所得者には、「時間」という財がない。「時間」という財を持っている低所得者には、「お金」という財がない。二極化の結果、そういう、「文化に必要な財を持っている人がどんどん減少していく」という状態が生まれてくるんじゃないだろうか。

昔の会社の経営者は、優れた経営者であると同時に、優れた文化人であった方も多かったと思います。本田宗一郎さんの右腕として有名な藤沢武夫さんが、確か、長唄の舞台に立ったりしていた逸話を聞いたことがありますし、本田さんご自身も、見事な書画を残してらっしゃいますよね。サントリーの大賀さんの例を引くまでもなく、趣味の時間、余暇の時間を充実して過ごした優れた経営者は多い。でも、企業活動の高度化と、スピード化に伴って、経営者が、そういった趣味や教養を磨く時間がどんどん削られてしまっている気がします。

趣味も持たず、教養人としての素養もなく、ひたすらに経済活動の奴隷として24時間働き続ける経営者が経営する企業というのは、果たして働き手にとって幸福な組織なんですかねぇ。もっと言えば、文化活動をする時間のない金持ちと、文化活動をするお金のない貧乏人ばかりがいて、誰一人文化というものに目を向けようとしない社会というのも、果たしていかがなものなのかしら。

だから、高所得者層は、もっと文化活動にお金を出すべきだ、という話じゃないんです。お金なんてのは二の次で、まず、会社の経営層や、高所得者が、自ら教養人であろう、自ら文化人であろうとしてほしいなぁ、と思う。忙しくて時間がないのは分かるけど、文化活動に携わる時間を、なんとか捻出してほしいなぁ、と。そうやって、文化活動の楽しさ、面白さ、意味深さを知れば、おのずと、お金を出そうという気になる。高所得者層がお金を出してくれれば、低所得者層も安く文化活動を楽しむことができる。そうすれば、社会全体の教養が高まってくるじゃないですか。

オペラ・オペレッタ、なんていうマイナーな舞台活動に血道を上げていると、自分では「やるべきこと」はきちんとやっているつもりでも、経営者に求められる「やるべきこと」=会社に24時間全てを捧げなさい、という敷居には、どうにも届かなくなってしまいます。でも、会社に24時間全てを捧げないと、出世はできないよ、といわれれば、「いや、だったら別にいいです」、と後ずさりしてしまう。それを根性なしと言われればそれまでなんだけどさぁ。「オレは根性がある」「仕事が趣味だ」「土日も会社に泊まりこみだ」「家には1ヶ月帰ってない」なんて自慢げに喚いている経営者を見ていると、なんか、寂しい人生ですねぇ、なんて同情したくなってくる。そういう経営者が、最近の日本には結構多い気がします。ホリエモンなんか、そういう寂しい経営者の一つの成れの果てみたいに見える時もあったりして。