野生動物

少し前、TVを見ていたら、浅利慶太さんが出演して、劇団四季の成功についてインタビューを受けていた。インタビュアーが、「浅利さんの後継者が育っていない、というご意見がありますが」と水を向けると、浅利さんは、

「僕らと同じような人間を育てようとしても無理なんですよ。我々創設メンバーは、言ってみれば野生動物みたいなものだからね。野生動物が必死になって作り上げたシステムの中で育った養殖の連中には、真似なんかできないんですよ。といっても、僕もいつまでも生きてないから、いなくなっても大丈夫なように、システムだけで動くように作っているけどね」

というようなことをおっしゃっていた。さすがに、この方はタダモノじゃないなぁ、と思った。

一つのシステムや組織を無から作り上げたバイタリティを、そのシステムを「当たり前」のものとして、その中で育ってきてしまった人々に「受け継げ」といっても無理。そういうことって、色んな組織に当てはまること。よく言われるのが、会社の後継者をどう育てるか、という話。創業者の遺産を二代目・三代目が食い潰していく、なんてのはよくある話ですよね。

芸術団体、特に、アマチュアの芸術団体、というのは、会社のように、生活に直結していない、という関係もあるのか、いともたやすく潰れます。その潰れる原因の一つが、「コアメンバーが活動できなくなったから」という理由。他の理由で潰れる団体も多いでしょうし、私の知っている団体の数なんて知れてますから、どこまで一般論に敷衍できるか疑問ではありますけど、活動の中心になっていた人が、海外赴任が決まった瞬間に瓦解した合唱団とか、脚本家がスランプになって活動休止しちゃった劇団とか、そういう例は結構多い気がするんですね。

逆に、長く続いている団体を見ると、そういう団体には、必ず「コア」になっているメンバーがいる。この「コア」っていうのは、必ずしも、外から見たときの劇団の中心人物と一致しているとは限らない。看板脚本家とか、看板役者は、続けたい!と思っていても、事務局長が病気になったので潰れちゃった、とか、裏方の要になっていた人が辞めたためにボロボロになっちゃう団体、なんてのもあると思う。

芸術団体において、民主的な決定プロセスっていうのは大抵意味がない。強烈な個性とバイタリティを持った一部の「コアメンバー」の、「これをやりたい!」という情熱が、その団体の進む道を決めるのが普通。どの劇団も、どの音楽団体も共通して持っている悩み、というのは、こういうパワフルな「コアメンバー」の後継者をどう育てるか、ということだと思います。会社のような利益団体と違い、基本的には趣味の団体であるアマチュア音楽団体は、創設時メンバーの、「こういうことがやりたい!」という情熱だけが求心力だったりする。その情熱を受け継いでいくことっていうのは、ものすごく難しい。

商業演劇とか、企業活動としての音楽団体、というのは、組織として永続することを求められますから、あまり、個人の求心力に頼った形で存続することはないですよね。歌舞伎なんか、松竹という会社の企業活動であるのと同時に、役者の血筋という「血脈」によって後継者を育成する、という、極めて強固な「存続のためのカラクリ」を持っている。この求心力はすごい。同じような求心力は、タカラヅカにもあって、阪急電鉄の企業活動であると同時に、学校法人の教育活動でもある、という二重の「存続のためのカラクリ」がある。

長続きするアマチュア団体の典型例は、学生団体ですね。学校という場所は、先輩が作りあげたものを後輩が引き継いでいかないと、という、ある意味保守的な空気の横溢している場所だから、ひとつの団体が長く継続しやすい。そういう中で、一番長続きしないのが、社会人が寄り集まって作っているアマチュア団体。入るのも抜けるのも各人の自由だし、先輩後輩の縦の絆も弱い。そういうアマチュア団体の存続を支えるのは、結局、コアになるメンバーの、汗をかくことをいとわない情熱だけだったりする。

「こういうことをやりたい!」だけでは、団体というのは存続していかない。やりたいことを実現するためには、そして続けていくためには、どういう仕組みや体制が必要か、という組織の問題。団員が「これは面白い!」と参加し続けてくれるような、インセンティブを与える仕掛けの問題。やりたいことと、実際にできることの見極めの問題。そういうこと様々な課題を全部クリアし、乗り越えていくことには、相当のパワーと情熱が必要。そういうパワーや情熱を持った「コア・メンバー」が、一つの団体を支えている。

そういう団体にとって、この「コア」を維持していくことっていうのが存続のカギになる。タカラヅカや歌舞伎のように、情熱以外の存続の仕組みを取り込んでしまうことができないアマチュア団体においては、一種の「野生動物」である「コア・メンバー」のバイタリティだけが支えになっていて、この「野生動物」が倒れてしまうと、残ったメンバーではどうにも存続できない・・・ということって多いと思います。逆に言えば、この「コア・メンバー」がきちんとしていれば、看板がすげ代わっても団体名が変わっても、団体としての一貫性が維持できる、という面もあるんでしょうね。

・・・なんでこんなことをつらつら書いているか、というと、最近大騒ぎになっている安倍さんの退任劇を眺めていて、この人も一種、「野生動物」じゃなくって、イケスの中の養殖育ちだったんだなぁ、と思ったから。周りの人が悪すぎたのと、そういう人たちの言うことを素直に聞きすぎたのが、この人の敗因だった気がするね。それにしても、マスコミの安倍さんへの対し方っていうのは、子供の「集団イジメ」の様相とあんまり変わらない気がして不愉快である。立花隆がヘラヘラ笑いながら、「国民は楽しんでるでしょうねー」なんてコメントしているのを見ても不愉快。政治なんてのはドラマでもなんでもなくって、地味な実務の集積だと思うんだけどねー。とにかくしっかり、やるべき仕事をきちんとこなしてくれないと困るんだけど・・・