子供のおもちゃ

昨夜の家族会議の議題。「娘に、ラブ&ベリーのカードフォルダーを買ってあげるかどうか?」

子供にどんなおもちゃを買い与えるか、ということについては、かなりナーバスになります。こと、日本という国は、一種麻薬のような性格を持っている子供向けおもちゃが無秩序に販売されていて、結構流行したりするから余計に怖い。従い、我が家では、いくら娘が欲しがっても、「たまごっち」は絶対に買い与えていません。「命」をバーチャルにもてあそぶような、あのコンセプトが嫌い。それでも、娘の同級生のほとんどが、「たまごっち」を首からぶらさげていて、娘は二言目には、「たまごっち欲しいなぁ」と呟いています。

「麻薬のような性格」と私が思うのは、夢中になってしまうと、いくらでも時間とお金が消えていく構造を持っているから。「たまごっち」も、キャラクターを育てるのに夢中になってしまうと、他のことをやる時間がどんどん失われていきますよね。ボタンを押す、という定型化された反復動作を子供に強制することで、ひたすら無為な時間を浪費させているだけ、という気がする。そういうおもちゃが、すごく多い気がするんです。

自分が中学生くらいのころに、初めてインベーダーゲームが流行しました。あの時も、ボタンを押してレバーを左右に動かす、という反復動作を無限に繰り返すループにはまり込んだ人たちが一杯いた。私自身もそうでしたけど、それによって得られたものは何一つなかったと思います。そういう経験があるから、子供に、無意味な反復動作を行わせるような電子ゲームの類を与えるのには、ものすごく躊躇があるんです。

で、「ラブ&ベリー」です。ムシキングの女の子版、といえる、いわゆる「アーケードマシン」(ゲームセンターにおいてあるゲーム機のこと)とカードゲームを連動させた商品。ムシキングを開発した同じ方が作ったそうです。アーケードマシンに100円を入れると、カードが1枚出てくる。女の子のキャラクターが着る洋服やアクセサリーといったアイテムがカードに印刷されている。カードにはバーコードがついていて、そのカードをアーケードマシンのスロットに通すと、画面上のキャラクターがそのアイテムを身につけて、様々なシチュエーションでダンスをする。舞踏会、とか、アイドル歌手のステージ、とか、ディスコとか。そのステージの雰囲気にあった服で、ダンスを上手にできれば、高得点。ステージの雰囲気にあわない服を選ぶと、減点。色んなステージの雰囲気に合わせられる服やアクセサリーを沢山集めておけば、より高得点が望める。

女の子が好きな、「オシャレ」の要素をゲームに盛り込みながら、カードコレクションという要素も加わっている。よく考えてあるよねぇ。でも、家族会議では、女房も私も、ううむ、と、うなってばかり。どうしたもんかなぁ。自分が欲しいカードを集めようとして、子供が無限にお金をゲーム機に放り込んでいく禁断症状が、天使のような顔をして手招きしているのが露骨に見えるじゃないか。

娘が「カードフォルダーが欲しい」と言い出したのは、娘のお友達が、自分の余ったカードを一枚、娘にくれたから。そういう形でやってくる誘惑、というのも、なんだか麻薬っぽくって気に入らない。子供の時間、というのは無限にあるようで、実はあっという間に過ぎてしまうし、その限られた時間の中でやるべきことは沢山ある。どうしたもんかなぁ。

結局、娘に「たまごっち」を我慢させていることもあるし、「たまごっち」のように、命をもてあそぶような性格のゲームじゃないし、ということで、「1ヶ月1枚上限、ゲームをやるときは必ず親同伴で」という制限付で、カードフォルダーを買ってあげようか、という所に落ち着きました。それでも父親としては、どこかに引っ掛かりが残ってしまう。

昔好きだった、星新一ショートショートで、こんなのがありましたっけ。宇宙から、ある機械が届く。試してみると、これがものすごく気持ちいい。一度使うと病み付きになる。早速、量産されることになって、どんどん利用者が増える。利用する人は一日中その機械にのめりこんでしまって、他のことをする気が全然なくなってしまう。

ある日、その機械を送りつけた宇宙人がやってくる。「送る先を間違えてしまったので、返却いただけませんか?」と言われる。すっかり流行してしまっているので、「なんとかこのまま使わせてもらえませんか?」と尋ねる。宇宙人は使用方法を聞き、「ああ、そういう使い方をされているのなら、返却いただかなくて結構です。」という。「なんで?」と聞くと、宇宙人はこう答える。

「これは、有害な文明と判断された文明を滅亡させるために使う機械なんです。」

いろんな子供向けのゲームが流行している姿を見るたびに、このショートショートを思い出します。どうしたもんかなぁ。