DSが欲しい

昨夜家に帰ったら、女房が、夕方ちょっと大変だったんだよ、と言ってくる。娘が、帰りのバスの中で、同級生たちみんなに、

「えー、DS持ってないの〜、みんな持ってるのに〜」

とからかわれて、ちょっと泣きべそかいちゃったんだって。帰ってきてから、DS欲しい、と訴えてきて、女房はちょっと困ってしまったそうな。

我が家では、娘にDSを買い与えるつもりは全くなくて、できることなら一生この手のゲーム機からは隔離された人生を送って欲しいと思っている。以前この日記にも書いたけど、星新一ショートショートを思い出しちゃうんだよね。人間に快楽を与えてくれる機械、だけどそれは、人間を滅ぼすために使われる機械。

娘の小学校の校長先生も、「ゲームをやると脳内ドーパミン=脳内麻薬が出て、病み付きになる。それって要するに、ゲーム=麻薬、ということに他ならないので、できる限りゲームは買い与えて欲しくない」という文章を父兄宛の手紙にかいてらっしゃったりしたんだけど、全く同感。

ゲームというもの自体が、子供の時間を食い荒らす道具で、子供の時間というのは、ゲームみたいな膨大かつ非生産的な反復作業で消費されてしまってはいけない、人生に二度と訪れない貴重な時間だ・・・というのが女房と私の共通認識。もちろん、DSにも、頭がよくなる、と謳った各種のお勉強ソフトがあるのも承知してるんだけど、誤解を恐れずに言えば、ネズミ捕りのチーズみたいに見えて仕方ないんだよなぁ。入ってきたらこっちのもの、だから入り口には美味しいものを置いておこう、みたいな戦略が透けて見えないか?

夜、一緒にお風呂に入りながら、娘に、

「ゲームは時間を食べちゃう機械だからね。時間がもてあますくらいにたっぷりあるようになったら、買ってもいい。」

という話をする。娘は、「パパはいつゲームを買ったの?」と聞いてくる。パパは相当オクテでしたから、「大学生の時」というのが答。

「でもね、時間が有り余るほどある、と思ってゲームばっかりやってた大学生の時に、ゲームなんかしないでもっとちゃんと勉強しておけばよかったって、今になれば思うよ。」

という話をしました。

と、親がいくらポリシーを固めていたとしても、怖いのは、子供の世界で、「持ってないことが恥ずかしい」みたいな雰囲気に押されてしまうことなんだよね。子供、特に日本の子供の世界では、そういう雰囲気が醸成されやすいから、いかにそれに抵抗するか・・・というのが結構ヘビーな課題になってしまう。誘惑の多いこの時代、どうやってわが子の時間を守るか、やりなおしのきかない貴重な子供時代の時間を、無為な反復作業に浪費させないか・・・なかなか厳しい話です。