古畑任三郎ファイナル「フェアな殺人者」〜無欲であること〜

今頃感想文書いててすみません。古畑任三郎ファイナルの3夜連続放送、録画した分をぼちぼち見ています。この週末には、イチローが出演した、ということで話題になった、「フェアな殺人者」を見ました。

第一夜の、「今、甦る死」の感想を書いた時に、古畑シリーズは、第三シリーズあたりから、登場人物のキャラクターに焦点があたってしまって、肝心のストーリやトリックがつまらなくなってきちゃった、という話を書きました。この回もまぁ、イチローが自分自身を演じる、という所に脚光があたってしまって、ストーリやトリックの部分はかなり手薄な感じはしましたね。でもね、イチローがきっちり演技をしている、というだけで、画面の密度が上がる感じがあって、それがストーリの薄さを補って、全体としての見ごたえにつながっている気がしました。

イチローさんの演技について、色んなブログとかを見ると、そのあまりの「普通」さに、みんなあっけにとられている気がします。これは実はものすごいことで、何がすごいって、プロの役者さんでも、「普通」に演じるのが一番難しいんです。それをさらりとやってのけているこの人は、やっぱりタダモノじゃない。

ドラマや舞台に出る素人さんがかもし出す「素人臭さ」というのには色んな要因があると思います。セリフの棒読み。能面のような表情。立ち居振る舞いのぎこちなさ。そういう要因の背景にある所を探っていくと、大きく2つの要因に行き着く気がしています。1つは、表現ということに対して能動的に動けない、動く能力がない、という「欠如」。2つめは、表現ということに対して理解が薄く、自分の技術に対しても充分に理解しないうちに、何かを表現しなければ、と無闇やたらに意味のない動きをする「過剰」。その2つに共通しているのは何か、といえば、自分を客観的に見る視点、自分がお客様、あるいはテレビ画面から、どう見えるだろう、という、第三者的視点から自分を捉えなおす視点の欠如です。

イチローさんが例えば、いい役者さんか、といえば、役者としての基礎技術の部分で難点は沢山ある。例えば立ち姿や歩き方にしても、スポーツ選手としての美しさは勿論素晴らしいのだけれど、役者としてみると少し癖がある。あるいは滑舌にしても、訓練された役者さんの滑舌と比較すると所々でボロが出る。さらに言えば、イチロー本人を演じる、という設定と、全体的に「クール」な芝居が多くて、感情の起伏をそんなに大きく出さない設定に助けられている部分も沢山ある。それは脚本がよく出来ている、ということなんだけどね。

それでも、イチローさんの芝居を見て、これはすげぇ、と思うのは、何よりも、変な色気や欲がないこと。「芝居してやろう」という力みも、自己顕示欲もなく、ただ客観的に自分をきちんと捉えながら、「こう見せるとかっこいい」というツボをちゃんと心得ていること。プロ野球選手でドラマに出る人はたまにいますけど、大抵が、妙に「はしゃいだ」、素人臭い「過剰な」演技か、あるいは表現ということに対して完全に素になってしまう演技の「欠如」を見せるだけ。イチローさんにはそういう力みや隙がない。その上で、自分をかっこよく見せる見せ方をきちんと知っている。こういう素人さんはそうそういない。

なんでこういうことを痛感するか、といえば、私自身が、ガレリア座という「素人集団」の中でものづくりをしていく上で、いやというほど、そういう素人芝居をやらかしてきたからです。私の場合、特に、「自分を目立たせたい」という嫌らしい自己顕示欲が、自分の能力や技術を凌駕してしまって、醜い無駄な演技を一杯してしまう、という、「過剰」な素人臭い演技。最近やっと、客席から見たらどれだけ自分がみっともない動きをしているのか、というのが多少分かるような気がしてきましたけど、それでも、ボーっとただ立ち尽くしている「欠如」の時間や、無駄な意味のない動きを一杯やっている「過剰」の時間がたくさんある。無駄をそぎ落とし、欠如を埋め、お客様にきちんと舞台上の「意味世界」を伝達することの難しさ。しかも素人には、ビジネスライクじゃない分、プロの役者さん達よりもよっぽど強烈で、嫌らしい、「自己顕示欲」とか、「プライド」とか、その集団の中で自分のポジションをどう守るか、とか、そういう下らない「アク」みたいなのがまとわりつきやすいんです。

イチローさんの芝居を見ていて、「これは学ばなきゃ」と思ったのは、その無欲な姿勢です。やりすぎない。でしゃばらない。淡々とこなす。でもそれって、「別にだまって立っていても、オレはかっこいい」という自信がないとできないことなのかもしれない。自信のない人間ほど、なんだか無駄なあがきやじたばたした演技をしてしまって、どんどん素人臭くなっていくのかもしれない。またそういう人に限って、「その動きが素人臭い」なんて指摘すると、言い訳を200ぐらい並べて自己防衛に走るんです。そういう「自信のなさ」を補うのは、結局、日ごろからきちんと自分の演技を客観的に捉えなおし、自分の一つ一つの所作やセリフを吟味していく、絶え間ない努力だったりするんですが。分かっちゃいるんだけどねぇ。人間、努力はしたくないし、プライドは高いし、自分は可愛い。というわけで、私も舞台のたびに、色んな言い訳並べては、女房にボロクソに言われ続けているわけですよ。

謙虚に、無欲に、作品と自分自身を客観的に見つめること。それが役者としての基礎とすれば、イチローさんはすごく基礎のしっかりした芝居を見せてくれた気がします。ま、これは余興として、野球の方、頑張ってね。