千流螺旋組「骨」〜肉体という言葉〜

週末の活動のリストです。

・今度、身内のコンサートをやろうか、と言っている アートホール レミド、という場所を見学に行く。
・千流螺旋組「骨」を観劇
大田区民オペラ合唱団の練習に参加
・ずっと見損ねていた「機動警察パトレイバー劇場版」の第一作をやっと見る。

今日は、千流螺旋組のお芝居の話を書きます。

千流螺旋組 第十二回公演「骨」

キャスト
飯田千賀 小篠洋幸 千原弘毅 山田基之 井沢神楽 飯田真己 あべあゆみ 柿森ななこ 橋本聡子 樋口史緒里 後藤秀義 塚本花子

スタッフ
作・演出   伊比庸晋 改め 幻流乙
舞台監督  伊藤清
照明     小坂章人
音楽     島幸も(Sound Graph Laboratory)
音響     上原全人
宣伝美術  長野河童 
衣装     飯田千賀 塚本 花子
制作     榎本福三 宮尾健治
舞台美術  尾花 宏行

という布陣でした。

例によって、お芝居仲間の橋本聡子さんが出演される、というので見に行ったのです。この劇団の公演は、以前、やっぱり橋本さんからご案内をいただいて、「灰神楽」を拝見しました。その時の感想文もこの日記に載せています。「灰神楽」のときにも思ったのですが、幻流乙さんの構築する世界観のテイストが、多分私にしっくり来るんでしょうね。全体に流れている「和」のテイスト。時間の蓄積、という感覚、あるいは、循環する世界観。そういう幻流乙さんの世界観が、妥協することなく、舞台の隅々にまでこだわって作りこまれている、そのこだわりが、とても肌に好ましい。舞台美術が今回も見事でした。日本庭園を思わせるような、シンプルでいながら実に美しい舞台。練り上げられた選曲も素晴らしかった。

前回拝見した「灰神楽」で、現代日本語のセリフの違和感、ということを書いたのですが、今回は、舞踏戯曲、ということで、セリフがほとんどないのです。物語を「語る」のは、役者さんたちの所作と、最小限挿入されるナレーションのみ。そのナレーションがうるさく感じるほどに、役者さんたちの所作が、物語を語るための最小限の動きに切り詰められている。切り詰められているから、個々の所作の全てにきちんとメッセージがあり、実に見事に物語を「語る」のです。恐らくは、一つ一つの所作、一つ一つの動作を、美しく、なおかつ簡潔に、さらに雄弁にするために、相当の努力と工夫を重ねたんだろうなぁ、と驚嘆しながら見ました。

トリックスターの存在によって豊穣と死を繰り返す世界観・時間観は、大江健三郎の「同時代ゲーム」のような神話性を感じさせ、さらに、そういった循環を見失ってしまった現代社会を彷徨う自分自身への洞察にもつながっている。自己の内面にあるファンタジーを妥協することなく突き詰めることによって、かえって普遍的な神話的な世界が構築されていく。最後の一瞬まで、舞台の隅々にまで集中させられた、実に完成度の高い舞台でした。面白かったあ。

お目当ての橋本さんは、凛々しい美しさと狂気、純粋さと魔性を混在させた見事な存在感。「体当たりの演技」なんて言葉は陳腐なので使いたくない。「体当たり」なんていう、計算のない生の自分で勝負するような演技ではなくって、もっと計算された、もっと洗練された演技。ほんとうにお疲れ様でした。素晴らしかった。

自分としては、「歌」や、自分の「声」を、自分の演技の中心に置いているので、逆に、こういう「肉体が語る」舞台というのは実に刺激的なんです。最近の日本語が、言葉の持っている本来のエネルギーやパワー、いわゆる「言霊」を減衰させてしまっている中で、幻流乙さんが、「肉体」という表現方法に回帰した、という試み自体、非常に共感できる。でも、私のような肉体虚弱児は、ひたすら自分の「声」「セリフ」に頼るしかない。日本語に頼るしかない。その時、どれだけ「言霊」のエネルギーを持ったセリフを伝えられるか。能舞台のように研ぎ澄まされた肉体の「言葉」を聴きながら、自分自身に、これだけのパワーのある「セリフ」「歌」をお客様に届けることができるのか、自分の課題を突きつけられたように思いました。