二期会「魔笛」とメルビッシュの「マリツァ」〜時事ネタの使い方〜

オペレッタを舞台でやる時に、どうやって笑いを取るか、というのはいつも悩み所。笑い、という反応をお客様から引き出すのは本当に難しい。でも、笑い、という反応ほど、客席を温め、劇場全体のテンションを上げてくれるものもない。そういう時、役者が安易に走り勝ちなのが、「内輪ネタ」だったり、「ご当地ネタ」だったりする。

自分も使ったことがあるので、あんまり偉そうなことはいえないのですが、オペラ・オペレッタの舞台で、「時事ネタ」「内輪ネタ」「ご当地ネタ」というのは、基本的に使ってはいけないネタなんでしょうね。使うとしたら、確実にウケる、確実に成功する、という確信を持って使わないとダメ。役者のセンスが問われるから、相当、演技や芝居に自信のある人じゃないと、使っちゃダメ。

なんでか、というと、舞台というのは、あくまで「ハレ」=非日常、の空間だからです。その空間に、突然、時事ネタや内輪ネタが入ってくる。舞台という「非日常」の世界に、突然「日常」が飛び込んでくる、そのギャップが笑いを生む。でも、「日常」が過剰に入り込んでくると、舞台の非日常性自体が破壊されてしまう。その塩梅が非常に難しい。

だから、「時事ネタ」「内輪ネタ」「ご当地ネタ」というのは、基本的に一発芸だと思った方がいい。当たると破壊力があるけど、舞台自体を破壊してしまう、相当使い方に気をつける必要がある武器。あと、使うなら中途半端に使っちゃいけない。あくまで大真面目に、真剣に使って、非日常的な舞台の一つの要素、というような確信を持って演じきらないと。

先日BSで放送された、実相寺演出の「魔笛」、録画してあったのを週末にやっと通して見る。すごく面白くて、なおかつ素晴らしく美しい舞台。ザラストロの知の宮殿に星図がきらめく場面とか、息を呑むほどの美しさ。

ピグモンレッドキングが出てきたり、3人の侍女の衣装がほとんどアニメの女戦士のコスプレだったり、という、サブカルチャーの引用については、賛否あるようです。でも、「魔笛」というのは、本当になんでもアリの容れ物。モーツァルトの音楽は普遍的であるが故に、なんでもできる。実相寺さんの引用も、少なくとも、音楽と舞台の美しさの調和を乱すような引用ではなくて、こういう世界もアリ、と思う。引用=パロディで勝負する姿勢が問題、と言われればその通りですけどね。大森一樹の映画とか、全編パロディで成立しているエンターテイメントについては、私も疑問を感じます。

でもむしろ、舞台全体を随分危なっかしいものにしていたのは、全編に散りばめられたイマドキのギャグ。結構ハラハラしちゃう。前述のように、「時事ネタ」というのは、相当に演技力や役者のセンスが問われるわけですけど、演技しているのはオペラ歌手ですから、余計にドキドキしてしまう。ちょっと話がずれますけど、以前、ある音大の声楽科出身者が、「大学では歌は教えてくれても演技は教えてくれないですから」と言っているのを聞いて驚愕したことがありましたっけ。舞台に乗るんだから、演技を教えない、なんてありえないだろう。しかし、歌はよくても演技については大根って人、ほんとに多いよねぇ。そういう、演技の素人の方々が放つ「時事ネタ」ほど怖いものはない。その点、僧侶役の羽山晃生さんは、常に大真面目にきっちり瞬間芸を決めてきて、いい味を出されていましたけど。

メルビッシュの「マリツァ」でも、字幕を見ても分からない時事ネタが一杯出てきました。父親の借金を返済するためにタシロが屋敷を売り払う。その売却先が、「有名なカナダ人」だという所で、客席がどっと沸く。よく分からんけど、オーストリアで、カナダの会社が不動産買いあさって倒産した、なんていう話があったんですかねぇ。他にも、マリツァが大農園を経営していて、そこの豚の数と、求婚者のジュパン男爵の所有する豚の数を合わせれば、「EU随一だ」なんて時事ネタが大受けしてました。

でも、メルビッシュに出てくる歌役者さんたちは、オペレッタ役者として一級の人たちばかりだから、そういう一発芸の決め方もサラリとして嫌味がない。素人さんがやると、自分で自分のやっている一発芸や「時事ネタ」に照れてしまったり、ヘンにこだわってドンドン客席をしらけさせてしまったりする。かなり前に日記に書いた、吉野新さんが演出された「バスティアンとバスティエンヌ」とか、やってる役者さんが自分の出すギャグに照れている姿が露骨に見えてしまう上に、懲りもせず「ご当地ネタ」を連発するもんだから、辟易しちゃいました。

「笑い」ってのは難しいですよね。取りに行こう、と力むと逃げちゃうし、何も考えずにサラリ、とやると思わぬ所で受けちゃったりするし。自分の狙い通りのところできっちり笑いが来た時が、役者としては一番の醍醐味を感じる瞬間なんですよね。