違うところが痛いよ

3連休、千葉の岩井海岸に、ガレリア座の合宿に行って参りました。3月の「乞食学生」公演の合宿。全ての訳詞がそろい(まゆみちゃん、お疲れ様でした)、やっと全ての材料がそろった、という感じです。

ただ、個人的には、相変わらず低いレベルのところでもがいているだけ・・・という感じ。焦りばっかりが募るのですが、どうしても壁が突破できずにいます。今朝は疲労のためか、右足のふくらはぎが、こむら返りを起こして、痛みが取れない。両足の太ももの前の方が筋肉痛で、曲げるたびに痛い。でも、ちゃんと正しいフォームで歌えていれば、お尻から太ももの後方の方に筋肉痛が出るはずなんですよね。違うところばっかりに力が入って、痛みが出ている。要するに、フォームが間違っている。なんて分かりやすいんだ。

演技、お芝居、という点で言うと、ガレリア座の中では、ヘンな話、私は結構「演技が上手」な方だと思われています。そりゃあ、声優の教室に通ったり、一人芝居をやったり、他の方よりは、演技ということを勉強する機会があったことは事実。でも、ガレリア座の中で多少「上手」と言われている、なんてこと、ご来場されたお客様には何の関係もないこと。お客様からすれば、新宿文化センターの舞台に乗る全ての役者は等位置にあるんです。

一つの団体の中でモノを作っていると、段々そういうカン違いに捕われてくるんですね。「ガレリア座」の中で、「xxさん、お芝居が上手だねぇ」と言われていれば、なんか結構いい役者になった気になっちゃう。大間違い。舞台とお客様、という2者の間にしか、パフォーマンスというのものはありえないはず。「ガレリア座」の団内の狭い世界で、yyさんはzzさんよりもお芝居が上手、ppさんはrrさんよりも歌が上手、なんていうお山の大将争いしたって、何の意味もない。

分かりやすい例で言えば、例えば、3月6日にガレリア座が公演を行う同じ舞台で、野田秀樹さんや加藤健一さんみたいな大俳優がお芝居をするかもしれない。私のお芝居と、野田秀樹さんのお芝居の両方を見て、「野田秀樹さんのお芝居と比べたら・・・」なんて言う人だっているかもしれない。なんて恐ろしいことなんだ。でも、同じ舞台に立つということはそういうことなんです。

野田秀樹さんのお芝居とは全然次元が違うに決まってる。ヘルマン・プライの歌とは全然話が違うに決まってる。でも、同じ舞台に立つ以上、同じところで勝負する以上、「決まってる」と片付けてしまっては、お客様に失礼。感動の質や量は違うかもしれないけど、自分が届けられる精一杯の何かを、お客様に伝えること。それだけが全てなんです。

通し稽古でも、「xxさんのお芝居は面白いねぇ」なんていう声もいただきました。でも、自分としては、オルレンドルフという人物の魅力を、もっともっと伝えることができるはずだと思っています。まだ色んなところが手探りだし、試しにやってみたり、失敗したりの連続です。歌に関して言えば、もう全然ダメです。このままだとお客様には、「xxさんのお芝居はまぁちょっと面白いところもあったけど、歌は全然ダメだったねぇ」と言われておしまい。ほんとに、なんとかしなければ。仕事も忙しくなるし、持病の胃痛もぶりかえしてきたし、もうボロボロだけど、そんなこと、お客様には何の言い訳にもならないからねぇ。公演が始まる前に、「すみません、この数ヶ月残業が厳しかったんで、練習できてなくて」なんて言い訳してから公演始めるわけにはいかないんだからさ。

あと2ヶ月を切りました。なんてこった。とにかくもう一度、自分のフォーム・自分のポジションをちゃんと見直さないと。