古畑任三郎ファイナル「今、甦る死」〜藤原竜也ってのは痛々しいね〜

以前もこの日記で書いていたと思うんですが、我が家は女房も私も、古畑任三郎シリーズのファンです。全ての回を見ていると思う。私も、ずっと見逃していた「全て閣下の仕業」をやっと先日の再放送でチェックできたので、これまで放送されたものは全部見ることができました。このお年始にスペシャル放送されていた3話についても、録画済み。ゆっくり見ていくことにしていて、昨夜、第一話の「今、甦る死」を見る。

このシリーズ、1時間枠で放送されていた頃、第三シリーズくらいになると、ちょっとだれてきた感じがあって、話もあんまり練れてない回が結構ありました。キャラクターに頼る部分が多くなってしまって、肝心の事件のサスペンスやドラマ性が落ちてしまう。でも、2時間スペシャルという形で1年に1回くらい放送されるペースになると、三谷さんもじっくりアイデアを盛り込むことができるんでしょうか、結構内容が濃い感じがします。「今、甦る死」の回も、最後の対決シーンのどんでん返しが鮮やかでした。

この話を見ていて、一番印象に残ったのは、藤原竜也という役者さん。この役者さん、本当に美しい顔立ちと、その幅広い演技力で、舞台から映画から引っ張りだこですよね。実際、大河ドラマの主役やってたジャニーズの誰かさんみたいに、顔立ちはきれいなんだけど、セリフの滑舌や口説が全然アカン、という若手とは違って、一つ一つのセリフ回しの確かさ、神経質そうな顔の表情の作り方など、「実力派若手俳優」の名に恥じない、堂々の演技でした。

じゃ、個人的に好きな役者さんか、というと、どうもね。今ひとつピンとこない。松田龍平さんとかもそうなんだけどさ。なんだか、トンガリすぎている感じがするんだよね。目の奥にすごく痛々しい寂しさというか、哀しさみたいなもの、あるいは狂気に近いような孤独感みたいなものが垣間見える気がして、どの出演作を見ても、あんまり感情移入できないんです。

もちろん、それは、彼らが自分の年齢に沿って、「現代の孤独な若者」の役を演じることが多いせいで、演じている役と、俳優さんを重ねてみてしまう我々側の問題かな、とも思います。そう思って考えてみると、彼らが演じることの多い、「現代の孤独な若者」像自体に、私が年齢的にシンパシーを感じられなくなっていることの方が、問題の中核にあるのかもしれないですね。

でも、時代に受け入れられない「孤独な若者」像というのは、永遠のテーマで、過去、たくさんの映画やドラマ、文芸作品のテーマになってきた題材だったはず。でも、過去描かれてきた「孤独な若者」と、藤原竜也さんや松田龍平さんによって演じられる「現代の孤独な若者」の間には、どこかで決定的な違いがある気がするんです。それが何か、というのを論理的にここで述べることは難しいとは思います。でも、あえて言うとするならば、過去の孤独な若者の目の奥には、他者とのコミュニケーションを渇望する、救いを求めるような熱さがあった気がする。いくら冷めきった毒々しい視線をこちらに投げていても、その奥には、傷ついた子犬が母犬のぬくもりを求めているような、切ない光が残っていた気がするし、多くの作品も、そういう光に焦点を当てることで成り立っていた気がします。

でも、「現代の孤独な若者」には、そういう切ない光を感じない。もっと暴力的で、もっと狂気に近いもの。あまりに孤独になりすぎて、救いを信じる希望を失ってしまって、どこか獣じみた破壊的な欲望に身を任せているような、そういう若者像。

そういう若者像にはどうにもシンパシーを感じることができないんだけど、多分、現代という時代は、そういう若者像こそが現実の若者を反映していたりするんでしょうね。藤原竜也さんという役者さんが出てくるたびに、なんだかむき出しのナイフが踊っているような、そんな痛々しさを感じてしまって、なんだか落ち着かない気分になってしまうのは、私がそれだけ年を取ってしまった、ということなのかもしれないなぁ。