「博士の愛した数式」〜理想的な教師の物語〜

私が昔、ガレリア座で上演したオリジナルオペレッタの脚本を書いた時に書いた文章で、こんなのがありました。ちょっと引用してみます。

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大学生のある夏、帰省の際、小学校時代の恩師を訪ねたことがあります。昔のままの、子供のような笑顔で迎えてくれた先生は、別れ際、一瞬寂しそうに微笑むと、こんなことを呟きました。
「子供らはどんどん大きくなる。オレはずっとここで、おんなじことを続けとる。虚しいもんや・・・」

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小川洋子さんの「博士の愛した数式」。第一回本屋さん大賞を受賞した、ということで、一度読んでみたいなぁ、と思っていたのです。昨日読了。本当に、温かな気持ちになれる、本当に優しい本でした。

小川洋子さんのことは、この日記の中でも何度か取り上げたことがあります。すごくいい作家だとは思うのだけど、好きな作家か、というと、ちょっと違う気がする、というのが感想でした。どうしてそういう感想になるか、といえば、過去読んだ小川さんの作品の中に含まれている「毒」が強かったせいだと思います。「妊娠カレンダー」にせよ、「薬指の標本」にせよ、互いの真情や、心を通わせることができない登場人物たちが、非常にひんやりとした触感のガラス箱の中に閉じ込められているような。そのガラスがぶつかりあっては、硬い音をかちん、かちん、と鳴らしている様子を、ひたすら醒めた目でみつめているような。そんな冷徹な感じが抜けなかった。

この「博士の愛した数式」でも、小川さんらしい硬質な手触りは生きている。でもそれは、「数字」という一見硬質な概念が織り成す数式の織物として、きらきらした輝きを帯びている。そしてその輝く織物を前にして、真理の美しさに息を呑む人々の間には、共有された温かな幸福感がある。そして、その登場人物たちを見つめる小川さんの視線もまた、限りなく優しく、温かいのです。

登場人物の、「博士」という数学者は、事故の後遺症で、80分しか記憶が保持できません。この博士の姿に、思わず私の頭をよぎったのが、冒頭の私の恩師の独白でした。学校という場所に縛られ、閉じ込められて、次々と訪れる子ども達の成長を、ただ立ちすくんで見つめているしかない一人の教師の姿。

でも、そんな境遇にありながら、毎朝目覚めるたびに、空白の一日の前で立ちすくみ、とっくの昔に消え去ってしまった過去の時間の中に取り残される絶望感に涙しながらも、「博士」は、決して子供への愛情を失うことはない。それはきっと、「数学」という限りなく美しい輝く真理の織物に触れた人だから。その真理の前では、自分の境遇を嘆くよりも、ただひたすらに新しい命を愛することに情熱を注ぐことの方が、よほど大切なのだ、という真理を知っているから。

そして、その愛情の具体的な形として、繰り返し表れるイメージが、「包み込む」ということ。「ルート」、という子供のあだ名。野球カードや秘密を納めたクッキー箱。子供を守ろうと、全身を子供の上に投げ出す「博士」の姿。「博士」が「ルート」にプレゼントするグローブ。色んなところで顔を出す、この「包み込む」イメージが、小説全体に、本当にあたたかな温もりを与えてくれている。

そういう意味で、この物語は、一人の理想的な教師の物語といえるかもしれない。数学という真理に触れることで、子供に対する無条件の愛情を身に着けた、一人の理想的な教師の物語。

小川さんがこれまで描いてきたのは、人間が、心と心を通わせることができない絶望感でした。この本は逆に、「では、人間はどうすれば、本当の心をぶつけ合うことができるのだろう」という所から出発しているように思います。そこで小川さんが選んだのが、「数学」という硬質な真理の織物と、「阪神タイガース」という限りなくベタな野球球団である、という所が実に面白かった。

小川さんがトラキチであることは、デイリースポーツに連載を持っていることでも知ってはいましたが、まさか江夏をここまで詩的に表現してしまうとは思わなかった。1992年のあの八木の幻のホームランまでが、幸福な3人の時間が夜空の彼方に輝くボールの軌跡と共に消えていくような、そんな美しいエピソードとして語られる。過去、ここまで美しく、「阪神タイガース」という球団が語られたことはなかったかもしれない。

読了した後も、ルートの頭を撫ぜる「博士」や、血まみれで玄関に座り込む「博士」の姿が突然鮮やかに目の前によみがえって、思わず目頭が熱くなります。すごいカタルシスで熱く感動させる、なんていう本ではないのに、何気ないそんなシーンの積み重ねが、後になってじわっと効いてくる。こういう本に出会えることって、あまりないと思います。いい本でしたぁ。

しかし、数学者ってのは回文が好きなのかね。友人の数学者も、やたら回文を作るのが好きみたいなんだが。なんで?