北杜夫ってすごい、とか、小川洋子のこととか。

最近また例によって乱読が始まっていて、時代小説のアンソロジーだの怪奇小説のアンソロジーだの、わりと気軽に読める短編集を漁りながら、並行して小川洋子さんの文庫本を何冊か続けて読んでいます。猛暑が続くこの夏に、このひんやりした無機質な感じがいい。「寡黙な死骸 みだらな弔い」と、「密やかな結晶」を読みました。美しいし、構成的にも完璧なんだけど、この後味の悪さが小川洋子さんだなーと思う。「密やかな結晶」とか、ちょっと伊坂幸太郎の「オーデュポンの祈り」とだぶったりする。小川洋子さんは非常に緻密な構造を持ったお話を書く人だから、構成力で読ませる伊坂さんの手法と重なって見えるのかもね。作風とか文体とかはまるっきり違うんだけど。

娘の夏休みも終わって、夏休みの間に、少しはしっかりした本を読んでほしい、と思い、親子で図書館に行ってみたりして、何冊かの推薦図書を手渡す。いわゆる名作文学はまだ早いかなーと思いながら選んだのが、池澤夏樹の「切符をなくして」、北杜夫の「怪盗ジバコ」、黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」、松谷みよこの「二人のイーダ」。娘は一通り読んだのだけど、意外と、「怪盗ジバコ」が面白かったらしくて、続編はないの、なんて聞いてきた。さすが北杜夫ってすごい。「怪盗ジバコ」の中で、「ミヤケ選手は五輪で日の丸を上げてくれるに違いない」なんて文章が出てきて、「これって、あの重量挙げの三宅選手のお父さんか、おじさんか、どっちかだね」なんて話で盛り上がったりして。

パパ的には、「二人のイーダ」が一番のお薦めだったんだけど、娘にはあんまり響かなかったらしく、「何が言いたいのかよく分からない」とのこと。親の思いと子供の思いってのは100%はシンクロしないもんだね。だから面白いんだが。