師走の道を歩いていると…

冬が深まってきて、道を歩く足も急ぎ足になります。そうやって12月の道をたどっていて、最近思うことを2つほど。まずは…

道路工事が多いよね。多いよ。我が家の近所の歩道も、全面改装工事が進んでいます。毎日同じおじさんやお兄さんが、片側通行の赤い警告灯を手に、24時間通行規制をしている。見ていると、だんだんおじさんたちが慣れてくるのが面白い。警告灯の回し方とか、通行方向の指示なんかのゼスチャーが、だんだん芝居がかって大げさになってきたり、妙に洗練されたムダのない美しい所作になったりする。同じ動作を反復しているうちに、それぞれの人なりのデフォルメがなされていくんですね。ううむ、演技論にも通じそうな現象だ。

地方公共団体の予算年度というのは、4月〜3月じゃなくて、1月〜12月なんですかね?調布市近辺だけじゃなくって、東京都内を車で走っていても、かなり多い気がします。会計年度の末に、こういう公共工事が多くなることについては、よく、「予算消化のために道路工事ばっかりやりやがって」と、公共団体の予算消化の悪しき慣習のように言われる現象ですよね。いたるところで工事やってるおかげで、道路渋滞が増えていることについては、確かにいかがなものかな、とは思う。でも、道路といった社会的インフラというのは、割と後回しにされやすいものだったりするし、それでもやっぱり定期的にきちんとメンテナンスしないと、どんどん劣化していくもの。1年に1回、会計年度末に、余った予算をチェックして、「この残りの予算で、できる限り、社会的インフラ部分を補修しておこう」という発想自体は、そんなに不健全だとは思わないんですけどね。

問題は、余った予算を使い切ろうとして、必要のない工事が膨らむことにあるのであって、「公共工事=全て悪」という単純構図は逆にまずい気がする。必要のない工事か、必須の工事か、という線引きや、優先順位付けのところに行政の恣意や政治的な圧力が働く余地があって、そこに問題の根っこがあるんでしょうね。
 
工事現場を抜けて、寒い夜空を眺めながら、空に光るオリオン座に見とれていると、いろんなお宅の玄関先で、きれいな電飾がピカピカと光っているのが目に付きます。最近、家の外の庭木などにクリスマスデコレーションの電飾をつけるお家、増えてきましたね。我が家の斜め向かいのお宅でも、庭のキンモクセイの木がきれいな豆電球に飾られていて、夜のクリスマス気分を盛り上げてくれます。去年は豆電球だけだったんだけど、今年はその脇に、家の屋根に向かって上っていくサンタさんの飾りがついて、ピカピカ光っている。来年は何が加わるだろう。トナカイかな。

日曜日、府中からの帰宅途中、旧甲州街道沿いで、家の庭中を電飾で飾っているお宅を見つけ、女房と娘が歓声を上げていました。旧甲州街道沿いというのは、古くから続いているらしい立派な門構えのお宅が多く、庭木などもとても立派です。その広いお庭が全部、電飾でピカピカ光っている。すげぇ。

昔、米国のニュージャージ近郊に出張したことがありました。ちょうどクリスマスシーズンだったのと、ニュージャージあたりの高級住宅街の近辺だったせいで、いたるところで、広い芝生の庭にたくさんの電飾を見かけました。トナカイとソリとサンタの組み合わせ、というのは一般的で、やたらとゴージャスな電飾がずらずら並んでいた。電気代だってバカにならんだろうが。こういう電飾を光らせるための電気が必要で、そのためには石油が必要だから、イラクを攻撃するんだよなぁ。いかん、どうして米国に対してはこういう悪感情が先に立つのだろう。

日本人というのは、米国のように、自分の家を外に向かって飾る、という習慣を、さほど強く持っていなかったように思います。せいぜい、お店の看板のような、実利を目的とした装飾か、純粋に「建築物」としての建物の装飾ぐらい。つまり、「住居」はまさしく「すまい」であって、家の内部がいかに快適であるか、が問題だったとおもうんです。外向きの部分の意識は、庭木をきれいにするぐらいのところで発揮されていて、それにしても、「外から見て、みっともなくならないように」という社会的な配慮と、家の内側から外を眺めたときに目に入る「庭」の美しさ、というのが問題だった気がする。視点が常に、家の中と、そこに住む人にあるんですね。

そういう、「外から内を守るもの」だった家が、道を行き交う見知らぬ通行人という外部の視線に対して、華やかな電飾を見せるようになった、というのは、すごく面白い現象のような気がする。日本人らしい「横並び意識」も勿論あるとは思います。「よその家もやっているから、ウチも」という発想。でも、それだけではない、外向きに自己表現していこうとする意識がある気がする。ネット上のブログという自己表現形態と共通する、「自分を外に表現したい」という意識。昔の日本人は、なるべく全体の中に没入して、「目立たない」ことを本性としていた気がするんですが、きらびやかな電飾を見ていると、「目立ちたがり屋の日本人」が次第に増えているような気がします。