我が家の小学校受験そのに〜これが最後、なんて思っちゃダメ〜

昨日から、小学校受験の話を書いているのですが、本当にこの話はデリケートな話ですね。小学校受験に関するネット上の掲示板などを見ると、親御さんの不安感、それを子供に見せてはいけない緊張感、不合格になった無念感などなど、精神的に追い詰められた雰囲気が伝わってきます。なので、各論に入る前に、最後に書こうかな、と思っていた一般論を、今日書いてしまうことにします。

我が家は比較的のんびり取り組んだ、と昨日書きましたけど、それはむしろ逆で、のんびり取り組んでもいい環境と、のんびり取り組むしかない環境があったからです。のんびり取り組んでもいい環境、というのは、調布市の公立小学校が、それほど荒れた学校ということもなく、「受験に失敗すれば近所の学校に行けばいい」という割り切りができたこと。のんびり取り組むしかない環境、というのは、なんといっても財力です。昨日も書いたように、死に物狂いであらゆる人事を尽くす、というほど、お金を無尽蔵に注ぎ込むことが、そもそもできなかった。

そんな我が家でさえ、時には周囲の声に流されそうになったり、自分を見失いそうになったり、精神的にすごく落ち込んだり、という局面がありました。「近所の公立小学校には絶対に行かせたくない」と思っているご両親であればなおのこと、不安や緊張でどんどん逃げ道がなくなってしまうだろうと思います。そして最大の問題は、そういう風にご両親に思わせてしまうくらいに、公立小学校の教育現場や環境が荒れてきている、という印象が流布してしまっていることです。

でもね、実際の教育現場はどうか、なんて、実はよく分からないですよね。誰も、現場をきちんと見たわけじゃないんですから。でも、教育現場の崩壊、という事象をマスコミが喜んでバッシングするうちに、公立小学校のやる気のある教師さんや、現場の職員さん達の熱意がどんどん殺がれ、どんどん保守的に、自己防衛的になり、さらに教育現場が荒廃する、という悪循環が生まれているような気がしてしょうがない。マスコミによる教育バッシングが、自己実現的予言になっちゃってるんですね。「このままでは教育が荒廃する!」と言い続けることによって、現場がどんどん荒廃していく。

そういう状況から子供を守ろう、ということで、お受験、ということを考える親御さんが多いと思うのですが、昨日も書いたとおり、「どうすれば合格できるのか」というゴールは見えない。しかも、私立も国立も、すごい競争倍率で極端に門戸が狭い。これは本当に不安です。そういう不安は、「ここで絶対に受験に成功しなきゃ!」という思い込みにつながり、その思い込みが微妙に変化していって、「ここで受験に失敗すれば、一生取り返しがつかない!」とか、「ここで公立小学校に行っちゃったら、この子には暗黒の6年間が待っている!」なんていうすごい危機感、切迫感に囚われてしまう親御さんっていうのは、結構いると思います。そういう脅迫観念的な切迫感を笑う人はいると思うけど、私は笑えない。それくらい、年頃の子供を抱えた親御さんの、教育現場に対する危機感、絶望感、不信感は強いんです。それが一番の問題なんですよね。

そんな不安と切迫感で目が吊り上っている親御さんや、希望の学校に振られてしまってどん底まで落ち込んでいる親御さんに対して、「もっと気楽にやりましょうよ」なんて声をかける人はいるだろうけど、そんなに簡単なものじゃない。そんなに簡単なものではないし、慰めの言葉にもならないけれど、私に言えることといえば、「お受験というのは、子供に対して、充実した小学校生活を送るためにたくさんある手段のうちの一つに過ぎない、と割り切るしかないですよ」ということです。

お受験に合格して、希望する教育環境が手に入ったとしても、そのあと6年間ホッタラカシにできますよ、ということじゃないですよね。入学前には思っていなかった色んな足りないことが出てくるかもしれない。そもそもオーダメイドの学校なんかないんですから、子供ごとに与えるべき教育環境というのは、学校に合わせて親が考えてあげないといけないんです。だから、地元の公立小学校に行くことになったからといって、その公立小学校の環境の中で、子供に与えられるベストの生活と環境を考えることはできるはず。充実した6年間を過ごすことはできるはず。お受験によって得られた教育環境というのは一つの手段であって、公立小学校という環境の中に置かれるならば、別の手段をとればいいんです。

忘れてはいけないのは、子供がお受験に合格しようが不合格になろうが、そこから新しい6年間の小学校生活が始まる、ということ。そこで終わるのじゃなくて、いくつかの選択肢のうちの一つとしての生活が始まる、スタート地点に立つ、ということ。そして、その6年間は、全くの白紙であって、これから親子で作っていくものだ、ということ。「あそこでこうしていれば」なんて後悔するには、子供のこれからの人生の方がずっとずっと長いんです。いくらでもフォローはできるし、色んなことを与えることはできる。これが最後、なんて思っちゃダメです。子供の人生は始まったばっかりなんだから。