我が家の小学校受験そのさん〜手段が目的にならない〜

週末、女房が新潟の合唱コンクールに出かけ(大久保混声合唱団、金賞受賞おめでとうございました!)、娘と二人でお留守番。好天にも恵まれ、土曜日は高尾山にピクニックに、日曜日はサンリオピューロランドに出かけました。この他にも、宮部みゆきの「理由」を読了したり、色んなインプットがあったのですが、とりあえず、書き連ねている小学校受験のことを書き終えてから、それらのインプットについての感想を書きたいと思います。今日はその3、ということで、志望校を決めていく過程について。

娘の志望校を決めるにあたって、先日も書いた通り、我が家はかなり恵まれた環境にありました。近隣の小学校の環境が悪くなく、いざとなれば地元の公立小学校に行かせればいいや、という割り切りができた。でも、知り合いのママさんたちによっては、年上の兄弟がイジメにあった、とか、23区内の小学校が少子化のあおりで、男女比が極端に歪んでいる、といったことから、「地元の公立小学校にはどうしても通わせたくない」という環境にあるママさんもいらっしゃったようです。そういう点では、我が家は随分恵まれていたと思います。

そんな我が家が、地元の公立小学校ではなく、他の小学校を選ぼう、と考えたのは、「子供にきちんと中学校受験をさせよう」と思ったから。娘もわりと学習意欲のある子供だし、中学校くらいから将来の進学を考えた方がいい。地元の小学校も、決して、進学にとって悪い環境、というわけではないけれど、やっぱり、クラスの中で、「受験組」と「公立中学校進学組」のような色分けがなされてしまうのはあんまり望ましくないかなぁ、と考えました。できればどの子も、中学校受験という共通の目的に向かって頑張っている学校がいい。

なので、いわゆる「中高エスカレータ式」の私立小学校でも、内部進学がそれなりに厳しい学校がいいよね、という話をする。それで、地元でも人気の高いある小学校で、「中高エスカレータ」ではあるけれど、かなり進学に力を入れている学校を、最初の受験候補にし、まず準備を始めました。

でもいざ準備を始めると、迷いが生じ始めます。その学校は人気も競争率も結構高い。従い、準備がかなり大変なんです。自宅での自習だけでは心もとない。お受験用学習塾にも、かなりの出費を覚悟しないといけない。競争率も高いから、他の学校も受験しないといけないかも。でも、その学校のための勉強をすると、同じような準備で受験できる小学校というのも限られてくる。そもそも、相当の出費までして学習塾に通わせるとなると、どこかの小学校に合格しないとかっこがつかない。後に引けない・・・

何回か家族会議を開く中で、女房と二人で、「手段が目的化してしまっている」と何度か自分達を戒めました。「あの学校も受験した方がいい」「この学校に行くなら、この学習塾で月謝が数十万で・・・」といった話が始まりそうになるたびに、「ちょっと待て」と自省する。「地元の公立小学校でもいいから、まぁダメもとでお受験にトライしてみよう」と気楽に始めたはず。それなのに、受験準備が始まると、「受験に合格する」ということが段々目的に変化していっている。どうせやるなら合格したい!ということで、過剰な目標を立てようとしていないか?子供に無理させることにならないか?親の財力に見合った計画になっているか?

そうやって迷ったり、悩んだりしている時、女房が、「とっても素敵な小学校を見つけた」と、ある私立小学校の情報を手に入れてきた。小学校しかなく、中高はないので、全員が中学校受験をしないといけない。そんなこともあって、お受験の競争率はさほど高くないけれど、とってもユニークな授業をやっていて、面白い学校のようだ。

知れば知るほど、「これは素敵な学校だ」と、夫婦で意見が一致。最初の第一志望だった競争率の高い小学校は、「ダメもと」受験ということで割り切ることにして、私立2校と、国立小学校1校を受験する、という方針を固めました。

そうやって方針を固めた後も、学習塾の夏季講習なんかを申込に行くと、「xxちゃんにはA校が向いていると思います!」なんて断定口調で言ってくる塾があったりする。それでも、最初に夫婦で、「こういう方針で受験に臨もう」と指針を明確にしていたので、「うちはこういう方針でやります」とお断りしてきました。

勿論、結果的に志望した学校に合格したので、結果オーライではあったのですが、もしこれが不合格だったら、「親の方針が間違っていた」「ちゃんと学習塾の言うことを聞いておけばよかった」と後悔していたかもしれません。必ずしも他の人の成功事例が参考にならない、というのも、小学校受験の不安の原因だったりします。でも、「我が家はダメもと受験なんだ」「中学校受験の勉強をきちんとできる環境が欲しいんだ」という基本軸をずらさなかったのは、精神的には随分安定的に「お受験」を進められた要因だったように思います。

先日も書いたことですが、「お受験」は目的じゃなくて、子供に恵まれた教育環境を与えるための、沢山の手段の一つに過ぎないのだ、ということ。お受験そのものが手段じゃなくて目的になっちゃうと、「何のためのお受験なのか」ということが分からなくなってしまって、「あれもやらないと」「これもやらないと」「やっぱり合格しないと」「どこかに合格しないと」・・・と、どんどん要求が大きくなってきてしまう。どこかで、「ちょっと待て、手段が目的化してないか?」と、自分を何度か省みる時間があって、そういう家族会議が何度もありました。

次は、実際の試験についての感想を書いて、おしまいにしようか、と思います。(誰が読むのかねぇ。)