自分の子供を客観的に見ること

昨夜、女房と、先日女房がすごく違和感を感じた話をしていました。小学校3年生の子供さんを持っているお母さんとお話をする機会があって、子供さんの学力の話とか、受験対策とか、色々と相談に乗っていたらしいんだけど、すごく不思議な気分になっちゃったんだって。

違和感の根本は、そのお母さんが、「うちの子供は、今はそれほど結果が出ていないけど、本当はすごく出来る子供のはずだ」という意識を強烈に持ってらっしゃることだったそうです。結果として、子供さんの学力よりも常に高い目標を掲げる。女房が、「え?」と思うような中学校を志望校として挙げる。その割には準備も覚悟も弱い。その目標が自分の子供にあっているのか、という分析も弱いし、目標を達成するには子供にどういう環境を与えればいいか、という研究も浅い。

子は親の鑑、と言いますが、子供さんの方も、そういう親御さんの中途半端さを見事に反映している。自分は出来て当たり前、と思っているから、出来ない、という状況に陥ると、あっという間にパニックになる。自分が出来なくて、同じ年齢の子供が出来ている、という状況が我慢できない。また親御さんも中途半端で、そういう子供さんに対して無理にでも勉強させよう、とか、勉強しやすい環境を整えよう、という気がない。「小学校受験も考えたんですけど、塾に行かせたら、自分が出来ないことを他の子供ができちゃうのを見るのが嫌だ、というものですから、やめちゃったんです」。通っている学習塾でも、「他の子が出来て自分が出来ないのを見るのが嫌だから、同級生の子がいない塾がいい」と。

聞きながら、女房は、「この子はあんまり勉強が得意じゃないんだ」というのを素直に認めれば、もっと楽になるはずなのに・・・、と、すごく違和感を感じたらしい。でも、女房と私で話しながら、「うちだって、ひょっとしたら、同じような気持ちになっちゃうかもしれないねぇ」としみじみ言い合う。

女房は、小学生向けの教材出版会社にいましたから、色んな子供を見ている。すると、3年生くらいで、「分かる子」「どうしても分からない子」というのが、結構分かれてきちゃうんだって。問題で問われている内容が理解できる子供と、理解できない子供が、きれいに分かれてくる。

「1年生、2年生くらいまでは、かなり簡単なことを教えているから、子供同士の差がつかないんだよ。3年生くらいになると、問題のレベルが少し変わってくる。途端に、全然理解できなくなっちゃう子がいるんだよねぇ」

そう言いながら、女房が出してきた問題の例。

(1)「リンゴが10個あります。3個食べました。残りは何個ですか?」
(2)「白いリボンは、赤いリボンよりも15センチ短いです。赤いリボンは40センチでした。白いリボンは何センチでしょう?」

へえ、と思ったのだけど、(1)であれば単純な引き算の問題、とすぐ理解できる子供ばかりなのに、(2)が、40−15という引き算の問題だ、ということがどうしても理解できない子供がいるんだって。文章読解力、というか、言語力の問題のように思うのだけど、これが理解できる子供と理解できない子供、というところで、子供の間に格差が出てくる。それが3年生くらいの時期らしい。

女房としみじみ言い合っていたのは、たとえばうちの娘が、3年生くらいになって、「理解できない子供」の側に入ってしまったときに、「この子は勉強が不得意なんだな」と、自分たちがちゃんと納得できるかしら、ということ。「この子自身の素質の問題」「自分たち家族の姿勢の問題」と、自分たち自身の問題として、その結果を受け止めることができるだろうか。結構、「小学校の教え方が悪い」「塾が悪い」「友達が悪い」などなど、他に原因や言い訳を探そうとするんじゃないだろうか。

そういう局面って、子供の成長に応じて一杯出てくると思うんです。子供には誰にでも得手不得手があって、課題を与えれば、「できる子供」「できない子供」と分かれてしまうのは事実。年齢が上がっていくにつれて、課題は難しくなっていくし、今まで「できる子供」だった子が、いつ「できない子供」になってしまうか、言い換えれば、自分の限界を感じるようになるか、それはそのときになってみないと分からない。

そういう時に、自分たちに言い訳しない。周りのせいにしない。他人をうらやんだりしない。出来る子供を素直に、「すごいねぇ」と賞賛し、自分が出来ることについては謙虚になる。他人を認め、自分を卑下せず、それぞれを尊重すること。自分の子供の「できること」は何かをきちんと見極めて、それに応じた将来への道を示してあげること。言葉で並べれば綺麗な言葉なんだけど、これは相当難しいことかもしれない。

私自身も、娘が「できない」側に立ったときに、果たしてそれを自分の問題として客観的に受け止められるか、自信ないもんねぇ。子供は可愛いし、期待もするし、子供を否定されることは自分を否定されるような気持ちになっちゃう。なかなか客観的に見るのは難しい。「できないのは学校の教え方が悪いんじゃないのか!」なんて責任転嫁したり、「なんでこんなことができないんだ!」と子供を叱り飛ばしたり・・・そういう安易な道にすぐ流れていってしまわないように、自分をきちんとコントロールしないとなぁ。