マイクコントロール

本田美奈子さんが亡くなった、ということで、先日、「題名のない音楽会」で、彼女の過去の出演映像を流していました。いくつか、クラシック歌曲を歌う姿も流れました。クラシック歌手、とは決していえないと思いますけど、ポップスの手法で、可能な限りの「歌」の表現力を追求した稀有の人だったんだな、と思います。

ポップス歌唱とクラシック歌唱を分けるのは、やっぱり「マイクコントロール」ということじゃないかと思います。いかに自分の一番きれいな声を、うまくマイクに拾わせるか、というテクニック。別の番組で、「鼻からの響きと口からの響きをうまく混ぜ合わせてマイクに乗せるには、口からマイクを12センチほど離した方がいい」という説明をしている先生がいました。なるほどなぁ。

昔、前川きよしさんが歌っているのをTVで見ていて、フレーズに合わせてマイクと口の距離を絶妙にコントロールしているのを見て驚愕したことがありました。フレーズの後半、ロングトーンで思いっきり鳴らすところでは、マイクをほとんど胸元あたりにまで持っていってしまう。そこであんまりマイクを近づけると、生声のがさついた響きを拾ってしまって、汚く聞こえてしまう、ということなんでしょう。

「カヴァレリア」の演奏会で、小松先生が最後に注意されたのもそんなことでした。演奏会形式の舞台でしたから、オケよりも合唱団が客席に近い。そうすると、「あんまり頑張りすぎちゃだめだよ」と。「あんまり頑張りすぎると、ナマの声が客席に飛んじゃって、汚くなるからね。綺麗な響きだけを届けるように気をつけてください。」

クラシック歌手がマイクを持って歌うと、その生の声の圧力が暑苦しくて、かえって聞き苦しいことがありますよね。あれもきっとそういう感覚なんだろうと思います。声帯が擦れる生の音、というのは、結構がさついた汚い音だったりする。でもその生の音に、鼻や肺の共鳴が混ざって豊かな響きになり、さらに空気を伝わっていくにつれて丸い柔らかな響きになる。その一番いいところを、どうやって会場全体に飛ばすか、というテクニックが、クラシック歌唱であるとすれば、その一番いいところを、どうやってマイクに乗せるか、というテクニックが、ポップス歌唱なんじゃないかなぁ。

ポップス歌手のマイクコントロールを見ているとすごく面白いです。マイクをくわえちゃうような勢いで、マイクギリギリに口をくっつけて歌っている方もいれば、前川きよしさんのように、ほとんどマイクには響きだけを乗せるようにして歌っている方もいる。本田美奈子さんも、ロングトーンの最初のうちは結構口のそばにマイクを持ってきて、響きが乗って鳴ってくるに従って離していく、というテクニックを使ってました。

時々、ポップス歌手で、「オレは声がでかいから」と、ライブの途中でマイクなしで歌い始める方がいらっしゃいますよね。山下達郎さんとか。和田あき子さんも、一度紅白でマイクを外して歌ったことがあった。でもやっぱり響かない。響きの一番いいところを当てる場所が、マイクであるか会場全体であるか、というのは、かなり本質的な差異なんですね。下半身の支え、とか、呼吸の使い方とかは共通点が多いと思うのだけど、声帯のコントロールが全然違う。

クラシック歌手の方と一緒に練習していると、時々、「あれ?」と思うほど声が聞こえないことがあります。練習会場の響きにもよるのですが、すぐそばに立っていても全然聞こえない。ところが、数メートル離れると、すごくよく響く。逆に、練習会場とかではすごくよく響いて、とってもいい声に聞こえるのだけど、本番のホールに行ってみると全然飛んでこない声、というのもあります。よく「そば鳴りする声」と言われる声。こういう声は、マイクで拾うと結構いい感じに聞こえたりするのかもしれない。

なんでなんだろう、と考え始めるときりがないんですけど、ポップス歌手とクラシック歌手というのは、かなり違う生物のような気がしています。例えば美空ひばりさんとかは、そういう境目のない所で素晴らしい歌を聞かせてくれていたけれど、本田美奈子さんは明らかに、「ポップス」という領分の中で、歌の表現の幅を最大限に広げて見せてくれた人だったんだと思う。「歌」というのは、ほんとに奥が深いです。