ルチアーノさんが逝った

パバロッティさんの訃報に接して、なんだかものすごく寂しい気持ちになる。女房も、「なんだかすごくがっかりしちゃったよ・・・」と肩を落とす。71歳。奇しくも、辻正行先生が逝去されたのと同じ年齢。

パバロッティさんのことを考えると、NHKのBSあたりで特集されていた彼のドキュメンタリーと、それに引き続いて放送されたMETの「道化師」の映像を思い出します。イタリアの国民的歌手、というより、国民的英雄。出身地のモデナでは、フェラーリとパバロッティが街の誇り。そのドキュメンタリーに登場したパバロッティのお父さん、というのが、いかにもイタリア人のお父さん。このお父さんが朗々たる美声で「Oh Sole Mio」を歌う。お母さんは、「私は昔から、ルチアーノの声と、ミレッラ(フレーニ)の声には目をつけてたのよ」と笑う。この両親のもとで、パバロッティさんのあの茶目っ気たっぷりのキャラクターがはぐくまれたんだなぁ、と納得。

ご本人へのインタビューの途中で、ノドに何かがひっかかって咳き込み、水を飲む。「何かひっかかりましたか?」とインタビュアーが尋ねると、「蚊が口に入ったみたいだね」と平然と言いながら、「僕は蚊を食べてここまで太ったのさ」とウィンクしてみせる。誰もが愛さずにはいられない、子供のような笑顔。

でもその歌唱ときたら・・・ドキュメンタリーで、その明るい人柄に接したあとで、引き続き放送された「道化師」を見て、その絶唱になんだか全身が浮き上がるような、足元からすっと宙に浮くような浮遊感にとらわれる。あの溌剌とした歌声が、絶望的な愛を歌う時、その明るさ故に生まれる底の知れない哀しみ。

パバロッティさんの歌声は、よく太陽に例えられたと思います。三大テノールというけれど、歌唱テクニックや楽曲への理解、演技力といった部分を捨象して、「声」だけに着目すれば、パバロッティさんの「声」は全く別のモノだ、というのが、うちの女房がいつも言っていたこと。まさに太陽のように、会場の空気を一瞬にして照らし出す、光輝と歓喜に満ちた金色の歌声。

「パバロッティの当たり役は何と言っても『愛の妙薬』のネモリーノだよ」と、女房はよく言います。その声の持つ、太陽のような明朗さと、伸びやかな響きが最も活かされる役。悪く言えば「馬鹿っぽい」、お人よしのネモリーノは、パバロッティさんのユーモラスなキャラクターに本当にぴったりだった。でも、そんな明るい声で、1幕の幕切れの切ないソロや、「人知れぬ涙」を切々と歌われると、その直球の感情の発露に感動せずにはいられない。

私が見た、生のパバロッティは、METの来日公演で見た「トスカ」のカバラドッシ。既に足腰に問題を抱えていて、声もかなり衰えてはいたけれど、それでも貫禄の歌唱でした。それが私にとって、最初で最後の「生パバロッティ」体験だった。

大きな病気をされて、歌手としては既に引退され、もうあの輝かしい声を聞くことはないんだろうな、と思っていたら、昨年の冬のトリノ五輪で、またあの声を聞くことができました。三大テノールのリサイタルでは、決して他の二人には歌わせることのなかったレパートリ、「誰も寝てはならぬ」。70歳を超えて、相変わらずの素晴らしい歌声。

もう無理だろう、もうさすがに、あの声を聞くことはできないんだろうな、とは思っていても、それでも、訃報を聞くまで、「もしかしたら・・・」と思い続けていました。あの声をもっと聞きたい。ひょっとしたらもう一度、あの声を聞けるかもしれない。そう思い続けることができる、という、そのためだけでもいいから、ずっとずっと、長生きをしていてほしかった。きっと世界中に、そんな思いを抱いている人がいるんだろうな、と思います。パバロッティ、という名前より、ルチアーノさん、と呼ばれる方がきっと似合う、イタリアの普通の歌好きのおじさんであり、そしてまさしく不世出の、間違いなく二十世紀を代表するテノール歌手。ルチアーノさん、素晴らしい歌声を本当にありがとう。ご冥福を心からお祈りしております。