「謎とき 名作童謡の誕生」〜きれいな日本語の出発点〜

昔、丸谷才一さんが、小学校教科書に掲載されている「詩」の例文を取り上げて、「こんな下らない『詩もどき』を子供に読ませるんじゃなくて、古典詩や名作と言われる詩をきちんと学べせなきゃダメだ」と怒ってた文章を読んだことがあります。今、NHK教育の「にほんごであそぼ」がやっている斉藤メソッドとも通じる精神。

私が学んだ灘中学校で、国語の担当だったM先生という先生は、「暗誦詩文集」という文章を生徒に与え、万葉集、中国古典などの名文を中学1年生の僕らに丸暗記させる、という授業を行っていました。今から思うとこれが本当に素晴らしかったと思います。中学2年生か3年生くらいで、白楽天の「長恨歌」を全部暗記させられた。私の頭は豆腐なので、ほとんど覚えてないんですが、TVなんかから時々古典の文章が流れてくると、「あ、これ覚えたなぁ」と懐かしくなります。

古典の文章を暗記することは、言葉の豊かさや、日本語の基本になるリズム感を身につけると共に、「基礎教養」を身につけることだと思います。春先ってのは眠いよねぇ、とただ呟くよりも、「春眠暁を覚えず」という言葉がふっと頭に出てくる方が、1000年の歴史を経て変わらない人間の本性みたいなものに触れることができて、心が豊かになるよねぇ。

で、「童謡」です。図書館で借りた本を全部読了してしまって、活字中毒の矛先を軽い雑学本で埋めようと、本屋さんで手に取ったのが、「謎とき 名作童謡の誕生」という平凡社新書の1冊。さらっと読める雑学本で、あっという間に読了しちゃったんですが、結構面白かった。

その中で、藤田圭雄という方が、戦後に、「文語調の唱歌や童謡は子供に理解できないし、子供の心に伝わらない」と言い出して、従来の童謡に、新しい口語体の歌詞を付け直す、という試みをしたことがある、と紹介されていました。それによると、あの「ふるさと」の歌詞は、こうなるんだって。

(旧)
うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も巡りて 忘れがたき ふるさと

(新)
風にゆれる 麦の穂 花にあそぶ 蜜蜂 いつもたのしく 思いだすは ぐみのみのる あの丘

ううむ、丸谷才一さんに見せたら怒り出しそうな気がするなぁ。確かに、たくさんの子供が、「ウサギが美味しかったあの山」とか、「蚊がたくさん出て困った田舎の山」とかいった珍解釈をしながらこの歌を歌ってるよ。でも、文語調の言葉の持っている雰囲気、というか、調子のよさのようなものを感じてくれるだけでいいじゃんねぇ。

そういう「古めかしい名文」に触れる最初の機会として、童謡ってのはいいですよね。勿論、北原白秋とかが子供の視線で書いた口語調の童謡も素敵なんだけど、「仰げば尊し」とか「蛍の光」「荒城の月」といった、子供にはちょっと難しい文語調の歌詞もすごくいいなぁ、と思います。そういう美しい日本語に触れる最初の機会として、童謡っていうのは実にいい素材ですよね。

この本、名作と言われる童謡の成立の背景や、子ども達の「珍解釈」も含めた「その後の童謡」も含めて広く網羅した、結構面白い本でした。個人的には、大正から昭和初期にかけての風俗に最近興味惹かれているので、そういう意味でも面白かった。

知っているつもりの童謡でも、「へえ〜」って思ったことが結構ありました。特に印象に残ったのは、次の2つのエピソード。

文部省唱歌、というものが初期に作られた頃、洋楽をそのまま取り込むのではなくて、日本人にも馴染みやすい音階にしよう、ということで、「ファ」と「シ」を抜いた形で曲が作曲されたんですってね。「ドレミ」にそのまま数字を当てはめて「123・・」と数えていったときに、「ファ」と「シ」は4と7にあたるので、そういう作曲方法を、「ヨナ抜き」といった、というエピソードが紹介されていて、「へえ〜」って思っちゃった。そういう目で童謡とか唱歌を見ると面白そうだなぁ。

あと、あの「赤とんぼ」という歌のこと。冒頭の「ゆうやけこやけの あかとんぼ」という歌の旋律で、「あかとんぼ」が、「『あ』かとんぼ」という形で、「あ」の音程が高くなっている。今の標準語だと、「あ『かと』んぼ」というアクセントになっているので、音程とアクセントがずれている。ここまでは知っていて、「作曲家が意図的にアクセントをずらして、強い印象を残すようにしたものかな」と勝手に思っていたのですが、実は違うんですってね。

この曲が作曲された当時、東京近郊では、「『あ』かとんぼ」というアクセントが標準だったんですって。作曲者の山田耕筰は、「日本歌曲は日本語の高低アクセントに従って作曲されるべきである」という持論の持ち主だったので、ここは厳密に当時のアクセントに合わせて作曲されているそうです。知らなかったなぁ。