東京室内歌劇場「子供と魔法」〜魔法の時間をありがとう〜

オペラというのは総合芸術だ、というのは言い古された言葉で、声楽、器楽、舞踏、舞台美術、衣装、そしてそれをまとめ上げるプロデュース力と、全ての力が一つにまとまって出来上がるもの。歌い手は頑張っているのに演出が今一つ、とか、演出意図は面白いのに歌い手がついていけてない、とか、全ていい感じなのにオケがあかん、とか、どこかしら「残念」感がただよう舞台ってのは数限りなくある。それは舞台のスケールには関係なくて、大金をかけた大スケールの豪奢な舞台でも、「残念」な舞台にぶち当たれば感動はできないし、逆に、全体がいいバランスで調和していれば、どんなにこじんまりした舞台でも、作品の本質を垣間見たような魔法のような一瞬が生み出されるもの。

女房が参加した東京室内歌劇場オペラ「子供と魔法」の公演が先日の29日に千秋楽を迎え、無事終了。演出のアイデア、最新鋭の舞台機構、アナログな知恵と工夫、センスのいい編曲の小編成オケ、舞台美術、衣装、そして演者のパフォーマンスと、全てがいいレベルで調和した、温かな空気に満ちた宝物のような舞台になりました。


 
指揮:新井義輝
  
演出:飯塚励生
 
CAST:Aキャスト、()内はBキャスト
子供・・・橋本美香(実川裕紀)
ママ・白猫・・・田辺いづみ(中村裕美)
中国の茶碗・とんぼ・・・植木光子(上田桂子)
羊飼いの男・・・木村槇希(櫻井日菜子)
火・うぐいす・・・末吉朋子(富永美樹
お姫様・・・中島佳代子(宮澤那名子)
安楽椅子・ふくろう・・・植木稚花(山内真理子)
リス・羊飼いの娘・・・大津佐知子(中島愛恵)
こうもり・・・鈴木沙久良(古川尚子)
小さな老人・雨蛙・・・吉田伸昭(糸賀修平)
ティーポット・・・櫻井 淳(谷川佳幸)
大時計・黒猫・・・中川郁太郎(和田ひでき)
肘掛椅子・木・・・下瀬太郎(岸本 大)
 
児童合唱:Want2Singers
 
演奏:
ピアノ・・・遊間郁子(松本康子)
電子チェンバロ・・・山中聡
フルート・・・遠藤まり
 
スタッフ:
振付・・・大畑浩恵
児童合唱指導・・・飯塚純子
副指揮・・・福嶋周平
舞台監督・・・アートクリエイション
舞台美術デザイン・・・唐木みゆ
照明・・・辻井太郎(有限会社劇光社)
衣裳・・・下斗米大輔(株式会社エフ・ジージー
ヘア・メイク・・・きとうせいこ
制作統括・・・前澤悦子/和田ひでき
 
という布陣でした。
 
ウィキペディアによれば、ラヴェルという人は相当のマザコンだったらしく、1917年に最愛のお母さんが亡くなって以降、あまりのショックに作曲がほとんどできなくなってしまったのだそうです。この「子供と魔法」が書かれたのは、やっと細々ながら作曲ができるようになった1920年から1924年。田舎の屋敷に引きこもり、機械仕掛けのおもちゃや様々な雑貨に囲まれ、ピアノの上に愛する母親の肖像画を飾り、猫とともに静かに暮らしていたラヴェルが、長い時間をかけて書き上げたこのオペラ。そういう制作の背景を知ってしまうと、オペラの冒頭、母親に叱られる子供のシークエンスから、ラヴェルの母親に対する思いの深さがこもっている気がしてくる。自分のお母さんとの思い出の一つ一つを音符に込めているような、ある意味生々しい感じ。逝ってしまった母親への感謝、贖罪、時には慟哭すら伴う激しい希求。ラヴェルという人が生涯持っていた疎外感と、最後の逃げ場、最後の守護者としての、母親への思いと祈り。子供向けのファンタジーオペラでありながら、底に流れる絶望と母性への焦がれは、まだ鮮血が流れ続ける傷のような痛みさえ伴っている。

そういう生々しさのようなものを、柔らかなオブラートに包んで楽しいエンターテイメントに仕上げるために、演出の飯塚さんが選んだのが、舞台全体を絵本の世界のような唐木みゆさんの舞台美術の世界に作りこんでしまうこと。生身の歌い手が、書割りの舞台美術の中に溶け込んでいくことで、舞台全体が現実感とファンタジーの境界線上を漂う。人と物と植物と小動物が、等しく人格を主張する逢魔が刻の世界。それが小劇場という、客席と一体化した空間を満たし、お客様もその世界の中に溶けていく。前回の「利口な女狐の物語」よりもその感覚は顕著だった気がします。舞台美術と演者の間の境界を消し去って見事に一体化させてしまった舞台衣装も秀逸。そんな舞台装置や背景のプロジェクションが、なんだかアナログな感じで操作されているのもいいし、舞台に絡む子供たちも手造り舞台の温かさを演出してくれる。まさに、さまざまな芸術ジャンルが総合されたアンサンブルの妙。

でも一方で、エンターテイメントとして優しくぼかすだけじゃなく、ラヴェルの分身である子供が置かれている疎外感、孤独感のようなものもしっかり描き出されていて、その一つのカギになるのが、「りす」というキャラクター。りすは、子供につかまってかごに閉じ込められ、かごの中で衰弱してなんだかボロボロになっている。子供の気まぐれで逃げ出すことができて、庭の動物たちのもとに戻っても、どこかしら動物たちからも疎まれてしまう。演じた女房に言わせれば、「ベトナム戦争の帰還兵みたいな感じ」。

まるで貴族のように華やかな衣装をまとった他の動物達と比較して、りすの衣装はぼろぼろで、時々せき込みながら歌う姿を遠巻きにする動物たちからも、明らかに疎んじられている。それは、子供自身の孤独感、あるいはラヴェル自身の持っていた疎外感、孤独感と共通するもので、ラスト近く、子供とりすが心を通わせる一瞬が明確に示される。だからこそ、子供を攻め立てる小動物たちの前にりすは立ちはだかって子供をかばおうとするのだし、そのために怪我をしたりすを、子供は懸命に手当する。その共感が、全ての許し、救いになり、救済の呪文である「ママ!」という叫びにつながっていく。

そういう必然に向かって高まっていった音楽が、最後の赦しの大合唱になると、もう完全に涙腺決壊状態で、客席でも感激して泣いていた方もたくさんいらっしゃったようですけど、歌い手も泣きそうになって歌がヘロヘロにならないようにするのが大変だったようです。後光に包まれて、ゆっくり子供のもとに降りてくる母親は、天国からラヴェルを抱きしめにきた彼の母親そのもので、最後の子供の安心しきった「ママ!」という言葉は、ラヴェル自身の言葉なんだろうな、と思う。やっぱり母親にはかなわないんだよなぁ、と、父親としてはなんだか複雑になってしまったりして。

今回、Aキャスト、Bキャストのどちらの公演も見ることができました。どちらのキャストもそれぞれにキャラクターが立っていて、それぞれに魅力的で、誰、と名指しで感想を言うのが本当に大変なんですけど、あえてピックアップするなら、声といい所作といい存在感といいがっちりエッジが立っていた糸賀さん(Bキャスト 小さな老人・蛙)、柔らかなのに間違いなく的を外さないコロラトゥーラ技術が見事だった末吉さん(Aキャスト 火・うぐいす)、絶対何かやらかしてくれる期待を全く裏切らない吉田さん(Aキャスト 小さな老人・蛙)、第一声からシルクのようなまろやかな歌声と躍動感あふれる演技で魅了してくださった橋本さん(Aキャスト 子供)、白猫の色気とラストの涙ながらの母性あふれる演技が共存してしまう大好きな田辺さん(Aキャスト ママ・白猫)、市場のかみさんの時の美青年から一転、神々しささえ感じた中村さん(Bキャスト ママ・白猫)、見事な日本語訳詩と出てくるだけで安心感のゆるぎない和田さん(Bキャスト 古時計・黒猫)、とにかくキュートで子供が捕まえたくなるのが分かる中島さん(Bキャスト りす・羊飼いの娘)、出番は少ないながらがっしり存在感のあった鈴木さん(Aキャスト こうもり)・・・ううむ、書ききれん!他の皆さん、感想かけなくてごめんなさい。本当に女房がお世話になりました。ありがとうございました。

りすと羊飼いの娘を演じた女房は、「市場のかみさんたち」以来3回連続のせんがわ劇場の舞台。地元のこの劇場のこの空間が大好きで、ラヴェルを初めとするフランス音楽が大好きで、「子供と魔法」というタイトルを聞いた瞬間から「絶対に参加する、絶対乗る!」と決めて挑んだ舞台。物語を大団円に導く役を印象的に演じていました。


いい舞台に参加できてよかったね。お疲れ様。

どんなに満たされた時間でも、それは一瞬で過ぎ去ってしまう。集った人々はまた散り散りになって、次のステージに向かっていきます。でも、輝いた温かな時間の記憶は確かな宝物になって、一人一人の心に残る。次のステージに向かう力になる。つらいとき、悲しいときに呟く魔法の呪文のように。そんな素敵な時間を作り上げて下さった東京室内歌劇場のスタッフの皆さん、出演者の皆さん、この舞台に関わった全ての皆さんに。素敵な魔法をありがとうございました。


みなさんお疲れ様でした。またこの場所でお会いできるのを楽しみにしております。