「おごそかな渇き」〜切なさとは、一生懸命に生きること〜

ガレリア座の訳詞家HP上で、知らないうちに、私が昔、ガレリア座で書いた脚本がネタになっていました。いわく、”ガレリア座の「切ない」元祖”とのこと。名誉な称号なんだかよく分かりませんが、確かに、今まで私がガレリア座で書いた物語には、必ずといっていいほど、ちょっと胸がキュン、となるようなシーンを好んで入れてます。そういうところが、もともとおちゃらけ娯楽作品として作られたオペレッタとどうも相容れなくて、各方面に軋轢を生む主因だったりするのだが。

「切なさ」というのは、leggiero氏が調べてくれたところによると、「悲しさや恋しさで、胸がしめつけられるようである。やりきれない。やるせない。」という意味だとか。胸キュン、という感覚なわけだけど、一つ表現者として考えなければならないことは、そういう「切ない」感情を抱くのは、あくまで観客の側であるべきである、ということ。舞台上の役者達が、いくら胸キュンな気分になっていたとしても、観客がそう思わなかったらどうにもならない。

じゃあ、観客や受け手を「切ない」気持ちにさせるために、表現者としてどうしたらいいのか、といえば、それは、「一生懸命」である姿をきちんと見せる、ということだと思うのです。例えばボエームというオペラは本当に泣けるオペラで、まさに、「切ない」オペラの代表のように語られますが、パバロッティがこのオペラについて、非常にいいことを言っていた。曰く、「僕はこのオペラが大好きでね。みんな一生懸命生きてる」。その通り。登場人物たちが、貧しい中で、お互いを一生懸命思い合い、お互いを一生懸命愛し、お互いを一生懸命いたわって生きている、その一生懸命さが、観客に「切ない」思いを抱かせるのです。

山本周五郎さんの「おごそかな渇き」の文庫本の解説で、山本さんが、「僕は泣かせる小説を書く術は既に身に着けている」と宣言されていることが紹介されていました。その中で、「泣かせる小説」が、古臭い義理人情の物語である、と十把ひとからげにされることに対する反発を述べてらっしゃった。「おごそかな渇き」に収められた短編は、どれもこれも、実に「切ない」、実に「泣ける」お話ばかりです。でもそこにあるのは、古臭い義理人情などではない。一つの信念や、一つの思いに対して一生懸命に、誠実に生きる人々の姿です。その一生懸命さと、誠実さが、読者を「切ない」思いにさせ、読者の涙を誘うのです。

どの短編も素晴らしい作品ばかりなので、例によって一言ずつ。「紅梅月毛」のどんでん返しのラストシーンで、まずノックアウトされる。たしか「さぶ」という長編も、ラストのどんでん返しに、推理小説のラストシーンに似た爽快感を感じたなぁ。表題作「おごそかな渇き」。残念ながら未完に終わっていますが、群れるべきか、孤独に生きるべきか、という、人間存在の根本的な問いかけについて、極めて真っ直ぐに取り組んだ作品。このあとどう展開していくのか、未完なのが実に惜しい作品です。

映画の原作になった作品が3本収録されています。「かあちゃん」は、市川昆さんが最近映画化。親子というもの、家族というものの絆と、その中心にある母性の強さについて、どこか神話的な高みにまで到達しているような絶品。「将監さまの細みち」。黒澤監督が映画化できず、結局熊井啓さんが映画化した、「海は見ていた」のもう一つの原作。これは本当に、一遍の詩です。男女の絆という永遠の謎に対する、美しい詩。「雨あがる」。黒澤さんの没後に、黒澤組の小泉堯史さんが映画化。滑稽もの、ということで、確かにユーモラスな一品ではありますけれど、ラストシーンの奥さんのセリフに思わず胸を突かれます。笑わせておいて泣かせる、こういう仕掛けに私は弱いのよ。どの映画もまだ見てないんだけど、こうしてみると、原作を読んだ後では、あんまり見ない方がいいような映画ばっかりだなぁ。黒澤さんが映画化していればなぁ。

同じく滑稽ものに分類されそうな「もののけ」。山本さんの平安ものでは、「大納言狐」を読みましたが、同じような官僚の愚を、どこまでもユーモラスに描き出す。「野分」「あだこ」は、武家のがんじがらめの生活に対して、町家の純粋な女の情が染み入っていく同構のドラマ。そうでありながら、対照的なラストを迎えてしまうところが、すごい。「鶴は帰りぬ」の不器用な男女の恋情。「蕭々十三年」の一途な侍の真情。どの登場人物も本当に一生懸命で、だからこそ、どの物語も、本当に「切ない」のです。

山本周五郎さんの小説は、どれも実に「切ない」。電車の中で読んで号泣してしまった、という感想をネットで見たのですが、よく分かります。山本さんが身に着けた「泣かせる小説を書く」術とは、自分の運命や、自分の人生、自分の信条や自分の思いに、本当に真剣に、一生懸命生きている人間を生き生きと描くこと。そんな周五郎ワールドの奥の深さに感動した一冊でした。今年は一気に山本周五郎を読破するぞ!