「つゆのひぬま」〜必読書ってのはあるんだなぁ〜

川原泉さんの漫画が好きだ、というのは、以前この日記で書いたことがあったと思います。中でも、「架空の森」という短編は大好きでした。苑生さんのキャラクターもよかったんですが、対照的な織人君というキャラクターは、主役なのにやたらおしゃべりで、その対比がまた面白かった。

今回、山本周五郎の短編集「つゆのひぬま」を読んで、その中の、「おしゃべり物語」を読む。まさしく、織人くんのキャラクターそのままのおしゃべりのヒーローが出てくる。そう思って読むと、「おしゃべり物語」、そのユーモアと物語の展開が、どうも川原泉さんの「殿様は空のお城に住んでいる」に雰囲気が似ている。いや、そうじゃない、川原さんの作品自体が、山本周五郎のこの作品に影響されているんじゃないのか。

藤沢周平さんの短編が大好き、ということも、以前この日記で書いたことがあったと思います。あの哀愁漂う読後感。この「つゆのひぬま」に収められた短編群を読むと、その藤沢さんの短編の読後感に劣らない感動がある。複雑な人間の心理の襞と、そこから生まれる誤解や葛藤、そしてどこまでも優しい和解と人間に対する信頼。藤沢作品の読後感に共通する深い感動。そうじゃない、藤沢さんの短編群自体、山本周五郎の作品からの影響を除いて語れないはず。

今まで自分が「好きだなぁ」と思っていた作家の作品群の原点のようなものがここにある。そういう感覚と、その原点の持つエネルギー、パワーのようなものに圧倒される。「つゆのひぬま」に収められた作品群は、どれもそんな奥深さと、何よりも、人間というものに対する深い理解と、温かい視点に貫かれています。これを読まずに、川原泉の時代劇漫画が好きだ、だの、藤沢周平が好きだ、なんてことを語ること自体、失礼だったのかも、なんて思ってしまう。まさに「珠玉」という言葉が似合う、必読書。

戦後すぐ、作家が最も円熟した時代の傑作集、ということらしいのですが、どの作品も、本当に素晴らしい。巻頭の「武家草履」。戦後の荒れた世相を背景に、それでも自分自身を省みる精神を説いた寓話。前述の「おしゃべり物語」。ユーモア小説といっていい作りなんですが、主人公の破天荒なキャラクターが痛快で、ラストの大団円がなんとも爽快。「妹の縁談」。どこかおっちょこちょいで抜けているけれど、底抜けに人がいい江戸の娘、という、周五郎作品の一つの理想的な女性像。「大納言狐」。衆愚とそれに乗じる役人や知識層を風刺した寓話。思い続けた女に思い切って恋文を出したら、すぐOKが来たのでかえって人生に絶望する、という若者の描写が面白い。

「山女魚」。誰一人悪人がいない中で、すれちがい、鬱屈し、どうしようもなくもつれた心理の糸が、ラストになって全て許され、解放される、その感動。「凍てのあと」はまさしく、藤沢周平の市井ものを思わせる情感あふれる作品。「水たたき」は、市井ものの情感と、あまりに可憐で哀れなヒロインの魅力と、男女の心理の闇を描いて、ラストで思わず涙があふれる傑作。同時代ものの「陽気な客」も、若干私小説風ながら、多彩な人間群像がユーモラスで楽しい。全編に渡って、深い人間洞察と共に、巧まざるユーモアが流れているのがいい。

表題作の「つゆのひぬま」は、黒澤明さんが映画化できなかった「海は見ていた」の原作として、名前だけは知っていたのです。深川の娼家、という、救いようのない泥の中に埋没した女達。それでも人間として生きるために、虚構にすがり、愛にすがる姿。全ての汚濁を洗い流すように水が押し寄せた後、たった一つ残った真実が、星のようにきらめく、美しいラストシーン。

山本周五郎さんの作品、ちょっと本腰を入れて読み進めてみようと思います。