声帯というのはどうもよく分からん

声帯っていうのは本当に不思議な器官だなぁ、と思います。大きな声、小さな声、ささやき声、裏声、色んな声が出ますけど、全てが、声帯という器官がどう機能するか、という点と結びついているはず。結びついているはずなんだけど、実際にどう機能しているからそういう音が出るのか、というのが、どうもよく分からない。

単純に、大きな声を出す、ということ一つ取ってみても、声帯にヘンな力が入って、ノドだけでガナリたてるように声を出すと、遠くまで声が届かなかったりする。きれいに声帯が合って、きれいな響きで体全体に共鳴していると、小さな声でも遠くまで声が届く。そういうことを頭では分かっていても、いざ自分の体でコントロールしてみると、どうしても声帯にかかっている無駄な力が抜けない。

金曜日、身内の音楽会のための練習を会社の近所でやりました。久しぶりに会う仲間たちとの練習はすごく楽しかった。昔からの歌仲間のOさんと歌うデュエット曲を練習。Oさんとデュエットするのは「天国と地獄」以来だから、もう5年ぶりだねぇ。でも、昔馴染みですから、お互いの「やり口」、みたいなのがよく見えるんです。ここでこう来るだろうな、というのがなんとなく分かる。新宿オペレッタ劇場で上演された、メサジュの「ヴェロニック」の中から、ブランコの二重唱を歌ったのですが、どこまでもウネウネと流れていく流麗なメロディの中で、男女の声の糸が絶妙に絡み合う名曲。

うまく寄り添ってあげられればいいのだけど、ここでもまた、ヘンな力が入ってしまって、鳴らしすぎちゃう。もっとさりげなく、もっと軽やかに鳴らさないと、重戦車がキャタピラー鳴らして色んなものなぎ倒していってるみたいな曲になっちゃう。そばで聞いていた女房に、「ダサイ」と一喝される。ええい。

敗者復活戦のドゥルカマーラの登場の歌も歌ったのですが、これも、後半部分でどんどんノドが上がってきてしまう。この「ノドが上がった状態」というのが、声帯がどういう状態になっていることなのか、今ひとつよく分からないんです。声帯自体が疲れているのか、声帯の周りの筋肉が疲れてしまってこうなっちゃうのか、よく分からない。分からないんだけど、もう戻せない。いくら下半身の支えに戻そうとしても戻らない。「ノドが上がる」というけど、実際にノドボトケが上がっちゃってるわけじゃなくて、ノドボトケは必死に下げてるんだけど、やっぱり戻らない。首を絞められたみたいなヒドイ声になる。どういう状態になっちゃってるのかなぁ。

今回の音楽会は、先日も書いた、レミドホールという小さなサロンでの音楽会ですから、新宿文化会館の公演の時みたいに、必死に響かせる必要はない。とにかく軽やかに、声帯の響きだけで持っていく部分を大事にしていけばいいはず。そういう響きは、実は大きなホールでも遠くに響く音だったりするんだよね。やっぱり声帯ってのは不思議な器官だなぁ。