応用問題

週末、娘の自転車の練習がてら、近所をぶらぶら散歩。両腕がちょっと日に焼けちゃった。娘の自転車はだいぶ上手になったんだけど、まだハンドルが安定しないんだよねー。危なっかしくグラグラしてしまう。上手になったら、パパから自転車免許証を出してあげることになってるんだけど、もうちょっと練習が必要だね。

自転車とか、スキーとかもそうですけど、何か一瞬、「これか!」と思うような瞬間があって、その一瞬のおかげで、どんな局面にも応用できるノウハウが身につく瞬間がある気がしてます。言葉でうまく表現できないような、体の筋肉と神経が、状況にぴしっと反応する感覚。スキーのターンの時に、下半身の膝や腰のあたりの筋肉が上手く「入る」ような感じとか。言葉でうまく表現できないのだけど。

子供の頃、「巨人の星」とか、「タイガーマスク」とか見てて、「なんで『大リーグボール1号』とか、『タイガーバックブリーカー』とか、何度も何度も練習して、ずっと失敗してたものが、1回成功しただけで『必殺技の完成だ!』って言えるのかなぁ」と思ってたんだよね。1回成功しただけなのに、その後100%成功する、なんてヘンだろ、と思ってたんだけど、実はそういうものなのかもしれない。1回成功した時に、体の動きのコツ、というか、ツボのようなものが突然身につく。そういえば、川原泉の「銀のロマンティック」で、主人公たちがクワドラブル(4回転ジャンプ)を身につけるのは、犬のポチの体を張ったジャンプを見た一瞬だった。泣けるシーンだ。

何の話だ。あ、練習の話だ。土曜日の夜、大田区民オペラ合唱団の練習にお邪魔する。来週が大田区の合唱祭なので、土曜日が最後の練習でした。演出つきの練習、となると、いつもならどうしても演技に意識がいっちゃって、歌がすごくおろそかになるんですけど、土曜日は、音符や体のフォームや、変な癖が出ないように、といったことをとにかく気にして歌ってみました。

芸大の助っ人の方々も加わって、周りからいい音が一杯聞こえたせいもあるのでしょうけど、後半、なんだか、すごくいい気分になってきた。あんまり今まで経験したことのない気持ちよさ。意識していたことはすごく単純なことで、「ロングトーンで音を伸ばしている時に、伴奏の刻んでいる最小単位の拍を意識する」ということ。そんなこともしてなかったのかい、とバカにされそうですけど、してなかったんですねぇ。演技とか、芝居のことばっかり考えてて。この注意は、先日、女房に罵られながら練習した「愛の妙薬」の時の注意ポイントの一つでした。これを応用してみると、「カヴァレリア」の復活祭の合唱の、あのどこまでもどこまでも絶え間なく流れていくフレーズが、妙に体にしっくりくる。ロングトーンで意識が失速しない。常に前に前にドライブがかかっていくような感じになる。すると、無意識に、顔の表情とかもすごくよくなっているのが自覚できてくる。気分も高揚してくる。

演技や芝居、というところから気分を高揚させるのじゃなくて、音楽の、それもすごく基本的なところを意識したことで、気分が高揚してくる。こういう経験、今まであんまりしたことがなかったので、なんだかすごくわくわくしました。必殺技を身に着けたヒーローたちと違って、運動神経のない私。一度体得した「コツ」のようなものが、すぐに雲散霧消してしまって、再現性のないのがいつものこと。今回も、本番になったら、また例によって浮き足立ってしまってボロボロになっちゃう可能性大ですけど、練習中に一瞬でも、そういう快感を感じられただけで、なんだか幸せ。舞台を作るのって、本番も楽しいけど、こういう練習の過程で得られる一瞬の高揚感が魅力なんですよねぇ。