「闇に立つ剣鬼」〜アンソロジーの魅力〜

時々、複数の作家の中短編を集めたアンソロジーを読みたくなります。単独の作家の短編集、というのも面白いのですが、全く違うテイストの短編が収録されたアンソロジーというのも楽しい。SF小説のアンソロジー、ホラー小説のアンソロジー推理小説のアンソロジーなど、よく読みます。恋愛小説のアンソロジーというのもあるよね。

今回、思い立って、講談社文庫の「闇に立つ剣鬼」を図書館で借りる。珍しく、時代小説のアンソロジーです。本日読了。傑作もあれば駄作もある、なんとも玉石混交な感じが、アンソロジーの魅力。それにしても、時代小説ってのは面白いねぇ。なんか、色んなことがシンプルな感じがする。生き方がシンプル、というか。大工は大工。商人は商人。侍は侍。剣豪は剣豪。それぞれの生き方がシンプル。人物が類型化されている、というのは、小説としての深みを削ぐ、というマイナスの影響も確かにある。でも逆に、類型化された人物像を一ひねりしたり、逆に類型化された人物像を強調して物語の爽快感を高めたり、色んなアプローチが可能。そういう作家の知恵比べのような感覚があって、なかなか楽しめました。この本、既に絶版なんですねぇ。なんだか勿体無い気もする。

特に心に残った作品をいくつか挙げておきます。日本の相撲の元祖となった野見宿禰を描いた、黒岩重吾の「野見宿禰」。現在の相撲よりももっと荒々しい、命の取り合いとしての相撲。その中で、戦士同士の奇妙な絆が生まれる過程がリアル。皆川博子小平次」。この方の長編、「花闇」で、歌舞伎の魅力、というか、魔力を知ったのです。「小平次」も、「生きている小平次」をベースにした歌舞伎もの。耽美でじっとりとした情念の世界。森村誠一の「剣菓」は、バブル絶頂期の地上げ屋と住民の戦いを思わせる、幕末の江戸の片隅で起こった同様の地上げ騒動が背景。それに、新撰組の史実を絡めたなんとも贅沢な一品。この方の本は数々の映画になっていますが、これも映像化できそうな、ドラマティックな話に仕上がっています。

しかしやっぱり、何よりも、山本周五郎の「生きている源八」が素晴らしかった。この一本を読めただけで、この本を借りた価値があった気がしました。戦国の世の一人の兵士の物語。武将とも言えない、一兵卒でありながら、まさしく戦乱の世の一人の戦士として、淡々と自分の役目を果たす男の物語。その男を巡る友情の物語。ラストシーンはユーモラスでありながら、なんだか胸にぐっと来ます。黒澤明が愛してやまなかった山本周五郎の世界の、一つの典型を見た気がしました。「さぶ」とかも、中学生の頃に読んでほんとに感動したなぁ。

アンソロジーは玉石混交と書きましたが、そういう作家の筆力のようなものが露骨に出てしまうから、収録される側は結構緊張するだろうなぁ、と思いました。南条範夫や藤沢周平の風格のある文章の脇で、ほんとにバカバカしい清水義範のパロディー小説が並んでいる。そういうごった煮感が、読む側としては面白いんですけどね。