きちんと続けること

娘は5歳の誕生日に補助輪付きの自転車を買ってもらったのですが、ここ数ヶ月、補助輪を外してもらって、なんとか自分でこぐ練習をしていました。週末も、その練習に付き合う。片足でペダルを踏みながら、片足は地面につけた状態で前に進むのは、かなり上手になってきたのだけど、まだまだ両足で漕ぐのは難しそうだなぁ、と思っていました。そしたら、昨日の月曜日、会社に、こんなメールが届きました。
 

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パパ
これからすこ゛いことをいいます。
xxはきょうじてんしゃのれんしゅしたらなんと

こげていました\(^v^)/
ちゃんとのれました

ばいばい(^v^)

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パパは当然のように職場で驚愕しておったのですが、現場に居合わせた女房の方もびっくりしたらしい。ついさっきまで、よろよろと片足ペダルで進んでいたのが、急に両足で漕ぎ始めて、するする進んだんだそうです。子供の適応力というか、一つのことを身に着ける速さ、というのは本当にすごいなぁ、と思います。別に、短期間に集中する、というより、毎日必ず20分・30分でも、自転車に乗るようにしていたのが効果的だったようです。娘は女房に、
 
「ママ〜、xxは、こういうふうにあたらしいことができるようになって、とってもうれしい」
「ママといっしょに、こころをつなげたおかげだね」
「まいにち、すこしずつやると、できるようになるんだね」
「できないことができると、こんなにたのしいんだね」
 
などと殊勝なことを連発し、女房はそのたびにムシャムシャと娘のほっぺたを食べていたそうな。私の分も残しておくように。
 
子供の頃、一生懸命練習して頑張って身に着ける対象といえば、すぐに3つのことが思い浮かびます。(1)逆上がり、(2)自転車に乗る、(3)25メートル泳ぐ。これができるかできないか、というのが、すごくその頃の精神生活に影響していたような気がする。私なんか、このうちの(3)が小学生時代にできなかったせいで、未だに水泳は苦手だもんなぁ。

九九を言えるようになる、とか、漢字が書けるようになる、といった頭脳的な課題、というものよりも、やっぱり、逆上がりだったり水泳といった運動能力なんですよね。いくら頭がよくても、身体能力が低いと、それだけで劣等感につながる。その劣等感がさらに勉強に人を走らせて、頭でっかちのコンプレックスまみれの「えせエリート」が数多く生まれるのだ。もちろん、スポーツも勉強も抜群、という、コンプレックスのない本物のエリートが、結局は人の上に立っていくのだが。そうとも私はコンプレックスの塊さ。はっはっは。

毎日、少しずつ、こつこつとやること。スポーツの基本なんですよね。歌もスポーツ、身体表現だ、というのは、この日記でも何度も書いてますが、先日のレッスンでも、きちんと継続しておくことの大切さを痛感。乞食学生の本番が終わって、あんまり歌を歌う機会がなく、GWをはさんで数週間歌っていなかったら、本当にボロボロになってしまいました。何が悪い、ということさえ分からないくらいに、体のポジションがすっかり抜けている。レッスンの録音を聞いて、さらに落ち込む。20回同じフレーズを歌って、やっと1回くらい、多少聴ける歌いまわしが出てくるんだけど、その時のポジションの記憶がない。あきませんがな。

とにかく継続すること。そろそろ、昼休みのカラオケボックスの自習時間を復活させないとダメだなあ。