文化人という幸福な人々

あるビジネス雑誌の記事で読んだのですが、ITビジネスで巨額の報酬を手にした30代の青年が、宇宙に行って「機動戦士ガンダムのシャアのコスプレをやるんだ」と、ソユーズ宇宙旅行のチケットを買ったそうな。恥ずかしいからやめてほしいんだけど、彼が、「経済活動は文化の下僕ですよ」と言っていた。この言葉自体は共感するものがある。だからって、シャアのコスプレが文化かあ?

先日、この日記にも以前書いたことのある、友人のS弁護士のお母様が、ご趣味の絵の個展を開かれた、とのことで、そのパーティのお手伝いに出かけました。ご趣味、といっても、白日展で入賞されるような絵を書かれる方ですから、どの絵も本当に素敵。S弁護士のお父様というのが、フランス文学の権威で、ご両親が共同で翻訳され、お母様が挿絵を書かれた、フレッド ウルマン著「友情」という素晴らしい本があります。この本の挿絵の原画も展示されており、パーティのお手伝いそっちのけで、素敵な絵とおいしいお酒、オードブルを楽しんでしまいました。

しかしなんといっても圧倒されたのは、ご両親の交友関係です。以前、「池澤夏樹さんはよく家に遊びに来ていた」なんて言われて驚愕した、という話を書きましたけど、TVや著作でしかお目にかかったことのない文化人の実物が目の前でニコニコしている。最初に、渡邊守章先生がふらり、と現われて、女房と私で完全にミーハー状態でピョンピョン飛び上がってしまう。「放送大学の講座、バイブルにしています!」と申し上げたら、嬉しそうに、「今年は別の時間枠で別の講座をやってますから」と教えてくださいました。女房ともども完全に舞い上がり状態。

その後も、丸谷才一さん、四方田犬彦さん、ピアニストの青柳いづみこさん、と、著作でしか存じ上げない文化人が綺羅星の如く集まってくる。辻邦生さんの奥様、という方までいらっしゃって、女房と二人してクラクラしておりました。

丸谷才一さんとS弁護士のお父様が、17世紀のフランス文学における最近の発見について、実に楽しそうに嬉しそうにお話しされている。おっしゃってる話はチンプンカンプンなんですけど、いわゆる文化人と言われる方々というのは、本当に幸福な人種なのだなぁ、と思いました。ちょっと失礼な言い方をすれば、文化、というのは、生物としての人間の活動に何一つ貢献しない活動ですよね。衣食住に関わる何物も生み出さない活動。でも、文化活動を行うことができるのは、人間だけ。人間にだけ許された、高度な知的活動。だからこそ、人は文化活動にあこがれるし、文化人にあこがれる。まさしく、「経済活動は文化の下僕」なんです。

もちろん、そういう「文化人」であるためには、ものすごい努力と勉強が不可欠。宇宙でシャアのコスプレやるなんてのは文化じゃない、と冒頭で言ったのは、シャアのコスプレをする人間に、そういう切磋琢磨が見えないからです。そりゃ、「機動戦士ガンダム」は名作だし、作った富野由悠季という人は、文化人、クリエーターと言えるかもしれないよ。でも、その人が作ったものをただ衣装としてまとうだけのコスプレは、文化とは言えんだろうがよ。

文化というのは恐ろしく効率の悪い活動。一つの著作をものするのに、数百、数千の先人の著作を読み漁り、資料をそろえ、その上で、自分のオリジナルの思想を構築するために脳みそを絞る。S弁護士のお父様の名著「書物について」は、膨大な資料を全て読破し自分の骨肉にした上で、深い思索を展開された、まさにバベルの塔を思わせる壮大な知の構築物でした。

文化というのは、恐ろしく贅沢な「無駄な活動」なんです。その贅沢さ、無駄さ、というのは、宇宙旅行のようにお金で購うものではない。衣食住を全て忘れて、ただひたすらに、自分の脳髄を絞り、時間を浪費し続ける。そういう苦痛や努力の果てに、自分の創造物が立ち上がってくる至福の一瞬。その一瞬を獲得するために、様々な財を惜しげもなく浪費する贅沢。そういう贅沢を許された知の貴族たちの幸福について、考えさせられた時間でした。