「四十七人の刺客」〜地獄を見た人の強み〜

この週末の主なインプットは以下のような感じでした。例によって、ぼちぼち書いていきます。

・女房から、シュランメルンの武蔵野市民文化会館での演奏会がとても素敵に仕上がっていた、との感想を聞く。さすがプロ、きっちりブラッシュアップしてくるんですねぇ。武蔵野の方がチケット代安いのに、なんだか悔しいぞ。

・歌のレッスンに行く。歌が下手ってのはこういうことだと落ち込む。音程もフレーズ感もボロボロですがな。

池宮彰一郎著「四十七人の刺客」を読了。

・友人のお母様の絵の個展にお邪魔。「文化人」という人種の幸福について考える。

今日は、「四十七人の刺客」の話を。
 
最初に、「四十七人の刺客」というタイトルを見た時、「なんか、『十三人の刺客』みたいなタイトルだなぁ」と思ったのです。「十三人の刺客」という映画は、必殺シリーズなどで名前を馳せた工藤栄一監督の代表作。侍という生き方に、あるものはかっこよく、あるものはかっこ悪く、ひたすら殉じようとする群像劇。素晴らしい映画でした。そしてこの映画は、要塞と化した宿場町に標的を追い込み、少人数の「刺客」達によって供侍ごと殲滅する、という、「戦争映画」でもあったのです。

連想が当たっていたのは、池宮彰一郎さんご自身が、映画「十三人の刺客」の脚本家であったことで裏付けられました。そうやって読むと、「四十七人の刺客」における大石内蔵助と色部又四郎の駆け引き、そしてクライマックス、要塞と化した吉良邸での死闘と、驚くほど「十三人の刺客」と共通した構造になっていることが分かる。大石内蔵助と色部又四郎の関係は、「十三人の刺客」で、片岡千恵蔵演じる島田新左衛門と内田良平演じる鬼頭半兵衛が繰り広げた権謀術数の数々と全くシンクロします。なんだ、二番煎じじゃん、なんて、口の悪い人なら言うかも。

でも、これは決して二番煎じではない。逆に、確信犯なんだ、と思います。そうでなければ、「十三人の刺客」のパロディのようなタイトルを池宮さんがつけるはずがない。「十三人の刺客」で使った手法を、忠臣蔵に当てはめてみた時に、手垢にまみれていた忠臣蔵が、物凄く面白い「戦記もの」として再構築できる、という確信。そして、そのアプローチは見事に成功している。刃傷の理由も明らかにされぬお家取りつぶしという形で、完膚なきまでに叩き潰された赤穂浪人たちが、「侍の生き方」を全うするために、逆にぎりぎりと敵を追い詰めていく知能戦。ゲリラ戦対物量戦、そして要塞戦。これはまさに、「戦争小説」。

実を言うと、この小説を読む前に、この小説の「外伝」というべき、「四十七人目の浪士」を読んでいたんです。この小説の最初に、「生き証人」となるべく逃亡した寺坂吉右衛門が、江戸を彷徨する描写があります。

「道に迷った」

で始まるこの「仕舞始」という短編を読んだ時、これはまさしく、太平洋戦争の死地から生き延びた兵士の文章だ、と思いました。討ち入りという場で、死を覚悟した、というより、一旦死んだ人間が、「生きろ」という命令をいきなり受けた惑乱。それはまさに、太平洋戦争で一度は死んだ池宮さんが、本土に帰還するために生き延びた、その過程そのものだったのでしょう。たどるべき、生きるべき道が見つからない、「道に迷う」感覚。「死んだ方がましだ!」と叫ぶ吉右衛門の叫びは、まさしく南方戦線を生き延びた池宮さん自身の叫びだったのに間違いない。

そう思うと、「十三人の刺客」「四十七人の刺客」に共通する、「戦争」という視点のリアルさ、強烈さにたじろぐ思いすらする。我々戦後派には決して理解しえない、「戦争」という地獄を体験した人の強み。エネルギー。人生観。描写する対象にぎりぎりと詰め寄っていくその執拗さすら、一度死地を見た人の持つ、生命に対する、人生に対する執拗さのように思うのです。

「料敵」など、使われる漢語の豊かさと深さにも圧倒されます。時代小説の、というより、日本語のひとつのテキストとして、お手本にしたいような本だなぁ、と思いながら読み終えました。