子供って育つんだねぇ

娘は今育ち盛りですから、毎日のようにその成長を実感しています。昔の服がちっちゃくなったり、今まで出来なかったキャッチボールが上手になっていたり、そういった身体的な成長も勿論ある。日頃のおしゃべりがドンドンこまっちゃくれてくる、という、表現力の成長も勿論ある。でも意外と表に出ていなくて、時々はっとさせられるのが、受容力や感受性の部分での成長。

昔好きで見ていた「美少女戦士セーラームーン」とか、最近また東映テレビで放送していて、それを見ている娘の反応が、1年前とは随分変わっている。ただカッコイイ美少女戦士たちのアクションを楽しんでいた1年前と違って、物語の中に随分入り込んでいるように見える。幼稚園の年中組くらいの頃に一度見せて、別になんという反応もなかった東映動画の「長靴をはいた猫」を、この夏休みにもう一度見せたら、ラストシーンに向けてワクワクワクワクしてしまって、「この後どうなるの、ねぇ、お姫様は助かるの?」とパパに向かって何度も何度も確かめちゃった。そんな反応、以前はしなかったんだけどねぇ。

そういう色んなインプットに対する反応だけじゃなくって、日常の会話の中でも、大人の会話をきちんと理解して、会話の輪の中に入ってくる様子が、随分大人びてきたなぁ、と驚くことがあります。自分の喋りたいことをただ喋る、ということじゃなくて、パパとママが会話している話題に関係した話を、自分なりに発言していく。まだまだ子供っぽいところもあるけれど、時々こちらがはっとするような反応をしてきたりする。

先週の金曜日。女房が、天使になったFちゃんのことを、幼稚園のママ友達とお話しするために、私が書いたFちゃんのお話()をプリントアウトして、リビングのテーブルに置いていたのです。女房が台所仕事をしている間、娘はそれを手にとって、読み始めた。娘の読めない漢字も沢山ある原稿だから、きっと読み飛ばして、すぐ分からなくなって放り出してしまうだろう、と女房は多寡をくくっていたら、気が付くと娘はひどく熱心に読みふけり始めて、最後まで読みきってしまった。

その後、「ピアノの教室に行く時間だから、練習しよう」とママに言われて、いつものように娘はピアノに向かったのですが、なんだか様子がおかしい。心ここにあらず、という感じで、「なんだか楽譜がよく見えないなぁ」なんて言っていたと思うと、いきなりママの方を見上げて、わぁっ!と大声で泣き出した。

女房が慌てて抱っこして、「どうしたの?どうしたの?」となだめたのだけど、女房も記憶にないほどにヒドイ泣き方で、結局ピアノ教室はキャンセル。パパの書いたFちゃんのお話で、娘はすっかり、Fちゃんのことを思い出して、悲しくて悲しくて仕方なくなってしまったらしいのです。1年前、お通夜の時も、お葬式の時も、ただつまらなさそうな顔をして、一粒の涙もこぼさなかったのですけど。

「自転車に乗って、どこに行けば、Fちゃんに会えるの?」と娘に言われて、女房も思わずもらい泣きをしてしまったそうな。その後、なんとか泣き止んで、私が帰宅した時には、娘はもうケロリ、としていて、週末、家族で聞きに行った、Fちゃんのママが出演した、お琴の発表会にも、ニコニコとついていきました。でも、きっと娘の心の中では、1年前には今ひとつピンと来なかった、Fちゃんの死、という事実が、しっかり根を生やしていて、今になってゆっくり、喪失感という実になって熟しつつあるんですね。

Fちゃんが天使になってから、もう9ヶ月という時間が流れました。その時間のうちに、心の中のFちゃんと一緒に、娘もしっかり成長しているんですね。楽屋でFちゃんのママにご挨拶したら、「ねぇ、見て、Fがいるのよ」と、楽譜の裏表紙に貼ってあるFちゃんの写真を見せてくれました。Fちゃんは、そうやってずっと、みんなの心のなかに生きている。自転車に乗っていかなくても、目を閉じて、思い出すだけで、いつでも会えるんだよ。そうやってずっと一緒に、大人になっていくんだよ。