ジブリ美術館〜素直に楽しもうよ〜

私と同年代くらいのアニメオタクにとって、宮崎駿、という人は一人の巨人であり、英雄でした。それも、色んな意味で、オタク心をくすぐる英雄でした。オタク心というのは、一般人の知らないことを知っていることを誇りとする心です。宮崎さんというクリエイターは、まさにそういう人でした。なぜといえば・・・

・作画マン、という、アニメの世界でも最も現場の職人さんである。

・「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」「母をたずねて三千里」などの名作アニメを作り上げた主力スタッフでありながら、「画面構成」(要するにストーリーボードを書き散らす)という、実に「現場の職人」っぽいタイトルでしかクレジットされない。(どの作品も、演出は、高畑勲さんでしたよね。)

・演出を取った作品はどれもこれも低視聴率だったり、興行成績も最悪で、しかしながら名作の誉れ高い。(旧「ルパン三世」シリーズも、「カリオストロの城」も、「未来少年コナン」も、本放送時や、最初のロードショーの時点では、全然泣かず飛ばずでした。)

そういうキャリアに加えて、森やすじさんや大塚康生さんと共に東映動画労働組合運動に参加した共産思想バリバリの反体制の人、という思想的な背景もあった。宮崎さんという人は、我々アニメオタクにとって、「大衆化ということに迎合することなく、常に自分の作品を作り続ける気骨の職人」という位置づけだったのです。

しかもその作り上げる世界のすごさ。まさに天才としかいいようのない異世界の創造。「風の谷のナウシカ」が最初にアニメージュに掲載された時の衝撃。「シュナの旅」を読んだ時の衝撃。「未来少年コナン」のメカニックの与えた衝撃。新「ルパン三世」の最終回で現われたロボット・ラムダの造型の衝撃。提示されるメカニック・世界観・哲学の深さとリアル感。全てが、あまりに衝撃的で圧倒的。恐らくは、数十年単位でしか現われない天才的なクリエーターの一人。

で、ジブリです。そういうアニメオタクにとっては、どうしても、東京ディズニーランドジブリが同列に語られることに違和感があるんです。反骨の職人だったんじゃないのか。一般人の誰も知らない人じゃなかったのか。共産思想はどこに行った。泣かず飛ばずだったんじゃないのか。なんでアカデミー賞なんだ。どうして日本映画興行成績上位10作品の半分近くを宮崎作品が占めるんだ。世の中どうなっちまったんだ。

といいながら、ジブリ美術館のラセン階段を何度も何度も登る娘を見る。この天才が、自分の才能をこれだけ様々な局面で発揮できるようになったことを、素直に喜ぶ気持ちになる。宮崎さんの才能は、オタクのものにしておくには大きすぎる。日本人の共有財産としてできる限り公開する方がいい。ジブリ美術館にあるのは、徹底的な「モノへのこだわり」と、子供の視線で見た「場」の楽しみです。なんとなく、見ているだけでわくわくしてくるような「場」。足を踏み入れるのがちょっと怖いのだけど、覗き込んでみると色んなものが隠れている。そんな、古い民家のような、どきどきわくわくする場所。こういう場所を作ろう、なんて、宮崎さんにしか思いつけない。そして、こういう場所こそ、最近の子供達が必要としている場所なんです。

面白いのは、ジブリ美術館の中で、携帯ゲームをいじったり、携帯電話をいじったりしている人があんまりいなかったこと。そんなことをしていると、色んな仕掛けや色んな秘密を見逃してしまうんじゃないか、そんな気にさせるような「場」なんです。

娘は、子供しか覗けない小さな窓や、くるくる回るぴょんぴょんトトロをじっと見つめたり、小さなスタンプを買ったりして、大喜びでした。韓国人の観光客が所かまわず写真を撮りまくっていて通行の邪魔になって不愉快だったけどね。ヨーロッパに行った日本人観光客も、あんな感じなのかねぇ。