関屋先生を囲む会〜男が惚れる男〜

ガレリア座の仲間の一人に、Kさんという方がいらっしゃいます。以前、大久保混声合唱団に所属されていたのですが、その方が、大久保混声合唱団の団長さんだったOさんのことを評して、

「男が惚れる男なんですよ!」

と熱く語ったことがありました。まぁ、Kさんというのは普段から非常に熱い方なんですが、面白い表現だなぁ、となんとなく頭に残っていました。

昨日、この日記でも紹介した、関屋晋先生の追悼の会が、昭和女子大人見記念講堂で催されました。「関屋先生を囲む会」と題されたこの会。関屋先生が、女房の恩師である辻正行先生の盟友だった、ということもあり、女房が、「どうしても行きたい」と誘ってくれたのです。私は直接のご指導を受けたこともない身なので、なんだか場違いな気もしたのですが、娘ともども三軒茶屋に出かけました。

同じ合唱界の巨匠、ということもあり、正行先生のご葬儀の時のような、大変な集会を一瞬想像していたのです。正行先生のご葬儀は、とにかくおばさま方が多かった。ちょっと失礼な言い方なのですが、いわゆる「日本のおばちゃま」的な方も結構いらっしゃった。正行先生が亡くなった悲しみもあって、参列者の中には、半分パニック状態になっている方なども結構いらっしゃったのです。

ましてや、関屋先生は、つい先日までお元気だったのが突然のご逝去。関係者の方々はさぞや取り乱してらっしゃるだろう、と想像していたのですが、この会、実に整然とした、しめやかでありながら折り目正しい、品格のある会でした。進行役の方。略歴紹介をされたアナウンサーの軽部さん。2階席に陣取った晋友会合唱団の皆さんの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の合唱。立派なご挨拶をされたご子息。全てが、滂沱の涙を流しながらも、背筋をぴんと伸ばして、関屋先生の遺影を仰ぎ見ているような、そんな見事な追悼式でした。この短期間に、これだけの会を立派に開催された関係者の皆さんの努力と、それを実現した関屋先生のご遺徳に、改めて感動。関屋先生の遺影に向けて、会場全員が惜しみない拍手を送った時には、場違いの身でありながら、涙があふれて止まりませんでした。

こう書くと、正行先生のご葬儀がなんだかぐちゃぐちゃだったような言い方に読めちゃうかもしれません。決してそういうことではないんです。そもそも、正行先生が亡くなられてから、ご葬儀までの日数はすごく短かった、ということもありますから、参列者がパニックになっていて当たり前。でもそれ以上に、正行先生という方は、本当に、ママさんコーラスのおばさま方に愛された指揮者だったんだと思うのです。そういう普通の「日本のおばちゃま」方にまで、あの笑顔とユーモアで、コーラスというものの楽しさを伝えた方だったのだと思うのです。おばちゃま方がパニック状態になりながらも、正行先生の遺影に涙する姿は、まさに、ママさんコーラスの裾野を広げた正行先生のお葬式にふさわしい光景だった。

関屋先生は、そう考えると、男声合唱団のご出身である、ということもあり、男性方を中心とした体育会系のノリで、様々な方々にコーラスの楽しみを伝えた方だったんじゃないかな、と、今回の会を見て思いました。ヘンな話ですが、正行先生のご葬儀の時には、自分が多少なりお世話になった、ということもありましたが、あっちでもこっちでももらい泣きの嵐だったんです。おばちゃま方は感情をはっきり表に出されますから、葬儀会場のあちこちでわんわん泣いてる。その姿を見ると、こちらも泣けてきて困る。でも、関屋先生を囲む会では、そういう感情の表出を極力こらえながら、じっと腹の中で号泣し続けているような、そんな静かな悲しみが会場を包んでいる、そんな気がしました。

男が惚れる男・・・関屋先生って、きっとそんな方だったんだろうな。新実徳英先生が弔辞でご紹介された、「オレが死んだ後にいい曲が出来たら悔しいじゃないか。だから死ぬのはやだよ」と語ってらっしゃった、というエピソード。なんだか、正行先生もおんなじことを言いそう。人懐っこい表情でありながら、遠く未来の数限りない夢を見つめているような、そんな威厳さえ感じる遺影に拍手を送りながら、関屋先生という一人の「男」の生き様に、思いを馳せた時間でした。素晴らしい会を主催された関係者の皆様のご尽力に敬意を表するとともに、改めて、心より、先生のご冥福をお祈りいたします。