「コーラスは楽しい」〜嫌味のない自慢話〜

自慢話ってのは、大抵うんざりすることが多いですよね。特に、50代〜60代の功成り遂げたオジサンの自慢話ってのは、ほんとに不愉快。何が不愉快って、全ての文章の主語が自分なんですよ。「オレがやった」「オレが言った」「オレが」「オレが」。武田鉄矢の古い歌で、「あんたが大将」って歌があったけど、ほんとにいい加減にしなよって思う。

そこにあるのは、恐ろしいほどの視野の狭さと、自己満足、徹底した自己肯定。周囲がまるで見えてない。お山の大将ってのはいい言葉で、お山のてっぺんにいると、周りに誰もいない。誰も見えない。自分以外見えない。自分しか、愛せるものがない。その不幸な状況すら分からない。こういう人たちの傍若無人さが、どれほど今の日本を不愉快な国にしているか。若者のモラル低下なんかより、このオッサンたちを何とかしてくれ。オバサンたちにも時々いるぞ。お山のオバサンが。お山のてっぺんごと切り取って太平洋に捨てられんのか。

図書館で偶然、合唱指揮者の関屋晋先生が書かれた「コーラスは楽しい」(岩波新書)という本を手にした時には、これもひょっとしてオジサンの自慢話かな、と思いながら、でもなんとなく興味惹かれて借りてしまいました。今でも愛聴版にしている、晋友会の「カルミナ・ブラーナ」の舞台裏の話などに興味があったので。

関屋先生といえば、先日拝聴した、故・辻正行先生の「ほほえみをありがとう」コンサートでの、なんとも破天荒ながら、人間味に溢れた演奏の印象が強かったんです。芸術家、というよりも、芸人、という感じ(失礼かな?)。だから余計に、「オジサン」という感じも強いし(さらに失礼ですね)。オジサンの自己顕示欲の塊みたいな本だと、多少不愉快になることもあるかな、と思いながら読み進め、昨日読了。

これが、不愉快どころか、本当に面白い、示唆に富んだ、楽しい本でした。基本的には、やっぱり自慢話なんですよ。晋友会を結成し、数々の名演を残していく軌跡を回想しているわけですから、自然に自慢話になるんです。でも、その自慢話に嫌味がない。なんで嫌味がないのか、と言えば、主語が自分じゃないんです。常に、共演者であったり、合唱団員であったり。周囲の人たちに対する心遣い、優れた演奏家たちに対する素直な賞賛の気持ち、そして何よりも、コーラスに対する愛情に満ちているんです。

その上に、やっぱり、「芸術家」っぽくないんです。芸術、というより、非常に実践的な合唱団運営の手引きのような感じ。経営者の経営指南本のような、具体的な事例や、示唆が豊富に提示される。そこには、「いい合唱団をもっと増やしたい」という真摯な欲求だけが貫かれている。自己顕示欲の入り込む余地なんかない。

パフォーマンスの高い人っていうのは、いい人が多いと昔から思ってましたけど、数多くの合唱団の人たちに慕われてきた関屋先生のお人柄がにじみ出るような、実に面白い本でした。

読み進めるにつれて、妙に、辻正行先生のことを思い出すことが度々ありました。すごく共通点を感じる。コーラスに対する愛情。極めて具体的に、合唱団をどう運営・維持していくか、という点に心砕かれるところ。そして何より、コーラスの裾野を広げようとするその努力。関屋先生と辻先生は仲良しだった、と聞きましたけど、この本を読んで、さもありなん、と思いましたね。

嫌味のない自慢話だって、世の中にはあるんだなぁ。