ネトレプコ ソプラノリサイタル〜これからの大輪の花〜

ゴールデンウィーク、のんびりと過ごしているようで、何かとインプットを重ねています。GW明けにこの日記を更新しようかと思っていたのですが、このまま溜め込んでいると絶対破裂する。とりあえず、GW前半のインプットを吐き出しておきましょう。

・28日、ネトレプコのソプラノリサイタルをサントリー・ホールに聴きにいく。
・29日、ガレリア座の仲間の所属する、白木ゆう子さんのシャンソン教室の発表会を覗きに行く。
・2日、以前録画しておいた映画、「フリーダ」を鑑賞。

その他の日は、蔵こんの仲間たちを我が家にお呼びして夜明けまでだべったり、娘と公園で自転車の練習をしたり、GW中の平日を利用して、市役所に各種の届出仕事をしに行ったりと、それなりに活動的に過ごしています。この時期にお休みを集中させた政治家は偉いぞって、前にも書いたな。

今日は、まずはGWの前夜祭のような華やかな気分にしてくれた、ネトレプコのリサイタルの話を。

ソプラノ:アンナ・ネトレプコ
ピアノ:マルコム・マルティノー

という演奏会でした。

28日、GW前の仕事納めということでジタバタしているうちに、出勤してから、自宅にチケットを置き忘れてきたことに気づく。女房は家の仕事でバタバタしており、とても会社までチケットを持ってくることができない、とのこと。どうすりゃいいんだ、と思ったら、土俵際の魔術師の異名をとる女房が、「キミ、バイク便というものがあるのを知っておるかね?」と、ホームズのように提案してきた。早速飛びつく。

結果、8500円というチケット代と同じくらいのお金をはたいて、なんとかチケットを退社前に入手。サントリーホールに間に合いました。しかし、十分それだけの価値のある演奏会でした。

非常に知的な歌を、ドラマティックに歌いあげるソプラノ。そのドラマが実に美しい。前奏の初めから、後奏の最後の一音に至るまで、舞台上に自分の世界を作り上げる、貪欲なまでの音楽表現・演技表現への執着。そこに観客を惹き付ける美貌と、演技者としてのオーラ。そして何よりも、歌うこと、演じることへの喜びに満ちている。会場で一緒になったSさんが、「とにかく楽しい気分になるよね!」と感激されていましたが、本当にそんな感じです。象徴的だったのはピアノ。

マルコム・マルティノーという伴奏ピアニストは、Sさんによれば、現代屈指の伴奏ピアニストの一人、とのこと。本当に鳥肌が立つような「伴奏ピアノ」を弾かれる方でした。歌い手を完璧に支え、歌い手の歌に見事に寄り添う。前奏を聴いただけで世界が広がり、後奏の間は息もできないほど緊張する。そのマルティノーさんが、本当に楽しそうにネトレプコとアイコンタクトをし、ネトレプコの歌と演技に寄り添う幸せを噛み締めているように演奏されるのです。

多分、ネトレプコさんという方と音楽をやることは、指揮者や共演者、伴奏者にとって本当に幸せなことなんでしょうね。周りを幸せにせずにはいられない大輪の花。それは恐らく、マリンスキー劇場の掃除のアルバイトから始まった、彼女のキャリアに無関係ではないんでしょう。歌うこと、舞台の上で演じることの喜びが、全身からほとばしっている。それが、回りの人たちを幸福にせずにはおかない。

まだまだ若いし、テクニック的にはもっともっと完成されたソプラノ歌手は多いでしょう。もっともっと表現の幅の広いソプラノ歌手も多いと思います。何より、ナタリー・デッセイの、無駄の全くない、研ぎ澄まされた日本刀のようなリサイタルを聴いた耳には、ネトレプコの未熟さも随分と耳につきます。でも何と言っても、恵まれた美貌、生まれ持った声の艶、そして、音楽に対する非常に真摯な姿勢が、「この人の5年後、10年後が本当に楽しみ」と思わせてくれる。ちょっと人気先行というか、アイドルっぽい売り方が気になるのですが、そういう人気に埋もれずに、きちんとテクニックと実力を磨いてほしいです。

しかし、そんなにオペラを知らない私がこんな偉そうなことを言うのはなんなんですが、アンコールの「私のお父さん」の前奏が始まった時の拍手は何の意味があったんだろう。確かに有名な曲かもしれないが、ネトレプコの十八番、という感じの歌じゃないと思ったがなぁ。私にとっては、アンコールの収穫は、なんといっても、ムゼッタ。ムゼッタのアリエッタというのが、本当にシャンソンのように小粋で、もう聴いていてニコニコと微笑んでしまうような、華やかさと軽やかさに満ちた素敵な歌と演技。ここでも伴奏ピアノに驚嘆。この曲って、こんなに粋な曲なんだ、と、曲の魅力を再発見しました。終演後、S弁護士夫妻と夕食を共にし、興奮を分かち合う。GWの開幕にふさわしい、華やいだ夜を過ごすことができました。