ロビーコンサート〜日本歌曲って難しい〜

昨夜、勤務しているビルの1階ロビーで、恒例になったロビーコンサートがあり、聞きに行きました。

西川あや子(ソプラノ)/林田康子(ソプラノ)/宮内朋子(メゾ)/経種美和子(ピアノ)

という方々で、日本歌曲やイタリアオペラを中心とした、45分ほどの演奏会でした。

このコンサート、毎回、様々な歌い手さんが出演されて、それぞれの個性あふれる演奏を聞かせてくれます。本当に、世の中には色んな歌い手さんがいるんだなぁ。西川さんの堂々たる歌いっぷり、林田さんの可憐な歌声も楽しませてもらいましたが、個人的には、宮内さんの歌が一番好きでした。若い、ということもあるんでしょう、声がほんとによく出ます。力任せな部分もないわけじゃないんですが、中低音域の声の色がまろやかで艶っぽい。何より、歌っているときの表情が明るくて楽しげなのがいい。まだ芸大の4年生なんですね。これから頑張ってほしいです。

日本歌曲が多く取り上げられていたのですが、やっぱり日本歌曲って難しいんだなぁ、と思いました。人前で歌え、と言われたら、絶対歌えないなぁ、と思います。理由は大きく2つ。1つは、誰でも知ってる歌だから余計に、アラが目立っちゃうこと。女房がよく、「プロとアマの境界を越えるのに一番大事なのは、音程なんだよ」と言います。音程というのは、外れるとすごく目立つ。でも、知らない歌曲やオペラアリアだと、多少音程を外しても、「そういう曲なんだ」と思わせちゃう、という逃げ道がありますよね。でも、誰もがよく知っている日本歌曲で音程を外したり、微妙にフラットしたりすると、誰にでもすぐ分かっちゃう。子供でも知っている曲だったりすると、子供にまで、「間違えた」と分かっちゃう。これは怖いです。絶対歌えない。

もう一つの理由は、やっぱり日本語の難しさ。もともと西洋歌唱との相性がそれほどいい言語ではないと思うのに、普段よく使っている言語だから余計に難しい。歌になったときにすごく神経を使わないと、きちんと日本語として聞こえない。普段普通に喋っていると、自分の方言のなまりが気にならないように、普段普通に使っている母音や子音でそのまま歌っても、全然言葉として届かないんです。

そして、言葉として届かないと、聴衆側のストレスも溜まるんですよね。外国語の歌だと、言葉が分からなくても仕方ない、と、最初から言葉を聞き取る努力を放棄して聞いたりするわけですが、日本語だ、と思うと、何を言っているのかを一生懸命聞き取ろうとしてしまう。それが聞き取れないと、聞き手側にもすごくストレスになる。いくら声の色や、フレーズが美しく捌けていても、言葉がきちんと届かないことで、「いい歌」に聞こえなくなってしまう。

ガレリア座は、日本語上演というのを基本としています。歌い手やオケを含めた表現者側が、楽曲を理解しやすく、表現しやすい、というのが最大の理由なのですが、結果として出てきた日本語が、聴衆にきちんと届かないと、上記のようなストレスを与える結果になってしまう。今回の歌い手さんたちが、それぞれに巧みな日本語さばきを見せてらっしゃるのを聞きながら、日本語歌唱の難しさと、奥の深さを、改めて実感しました。