杉村春子さん〜舞台のセリフ・映画のセリフ〜

週末、偶然つけたNHK教育の「あの人にあいたい」という10分番組で、杉村春子さんをとりあげていました。全部見たわけじゃなくて、夕食を食べながらちらちらと見た、という程度。この中で、2つのセリフが印象に残りました。

1つめのセリフ。お名前は記憶し損ねたのですが、脚本家や演出家の先生と対談されている映像。昭和40年頃の映像、とのことだったのですが、既に、あの「女の一生」の舞台を350回以上こなされた後の対談だったようです。その中で、対談相手の先生が、「女の一生の2幕のセリフが、みごとに流れるようになってきましたね」とおっしゃったのを受けて、杉村さんはこんなことをおっしゃいました。(以下、うろ覚えなので、そのままのセリフではない)

「舞台のセリフも、100回以上はやらないとダメですね。100回、150回くらいで、脚本家の先生が思ってらっしゃったセリフの流れ、テンポのようなものが、ああ、こうだったんだ、というのが見えてきます。始めのうちはそれが中々つかめないですね。」

100回かよ。女房と顔を見合わせて、桁が違う、とため息をついてしまいました。ガレリア座の公演なんか1回きりです。その1回の公演のために、毎週の練習を重ねるわけですけど、その練習回数だって、全部で100回も行きません。でも、杉村さんは、「本番を100回」とおっしゃっているわけで、100回の本番の裏では、おそらく数十倍の通し稽古があるはずなんです。となると、数千回。そこまでやって初めて、「セリフのあるべき姿」が見えてくる、とおっしゃる。

杉村さんの「女の一生」の舞台を、客席で台本と見比べながら見た、という人の話を聞いたことがあります。長いセリフなど、元の台本を多少自分流にアレンジして、言いやすいように変えてらっしゃるのかな、と思いながら見比べてみたら、流れるようなセリフの一言一句、元の台本と全く同じだったそうです。最終的には950回近くを演じられたこの舞台。おそらくはその裏で、数万回、数十万回に至るセリフの読み込みがあったはず。そこまでして初めて、「セリフを自分のものにできる」んですね。とにかく読み込むこと。これに尽きるんだなぁ。

2つめのセリフ。既にかなりのお年になられてからの、NHKのTV番組の「杉村春子ショー」という番組の映像が流れました。スタジオの観客の前で、椅子に座って淡々と喋ってらっしゃるお姿。語られていたのは、晩年に至っても、「これからのこと」が楽しみで仕方ない、というような、前向きな決意表明。細かい言葉は忘れたのですが、女房と二人で見ながら、その口跡の素晴らしさに驚嘆しました。

私は杉村さんの舞台を見たこともない人間で、黒澤映画や小津映画の中のいじわるおばさん役ばかりが印象に残っている人間ですから、杉村さんについて語る資格のある人間だとは思いません。でも、この短いセリフを聞いただけで、この方が不世出の女優だったんだ、ということは本当に実感できました。タダモノじゃない。

杉村春子ショー」という番組では、前述の通り、スタジオに観客がいらっしゃいます。なので、杉村さんは、普段のTVドラマ芝居や、映画芝居ではなくて、舞台芝居として、その場のセリフを喋ってらっしゃいました。このセリフが、隅々まで完璧な日本語なんです。母音の美しさ。子音の響きの見事さ。絶え間なく流れ続ける息の流れ。強弱、高低アクセントの心地よさ。こんなに美しい日本語がTVから流れるのを聞いたのは、本当に久しぶり、という気がしました。

どなたかが、「杉村春子さんというのは、舞台の上でも、TVの世界でも、映画の世界でも全ての世界で大女優でありえた稀有の方」とおっしゃっていたのを読んだことがあります。本当にその通り。すごいなぁ、と思うのは、黒澤映画などで知っている杉村さんのセリフの発声法と、「杉村春子ショー」でのセリフの発声法は明らかに異なっているんです。異なっていながら、どちらも素晴らしい。

同じ日に、トップランナー、という番組で、市川染五郎さんが、「TVや映画の仕事をして、歌舞伎に対して決してマイナスになることはない」と言い切ってらっしゃいましたけど、私は違うじゃないかな、と思うんです。舞台の発声や表現と、TVや映画の発声や表現は、似て非なるものです。その違いをきちんと理解して、きちんと自分の引き出しを変えて使い分けないと、舞台表現にマイナスになることはありうると思う。

あの名優、山崎努さんが、舞台俳優としてはイマイチだ、と評価していた方の話を聞いたことがあります。舞台を拝見していないので、又聞きなのですが、やはり、セリフがうまく飛ばない、ということをおっしゃっていました。表現の場に応じて、自分の声の引き出しを変えていく。本物はどこに行っても本物、なんていう人がいますけど、そうとは限らない。どこに行っても本物である人、というのは、それだけの努力と鍛錬を積んでいるんだなぁ、というのを実感しました。