「さくや妖怪伝」〜ビジュアリストって何者さ〜

やっと冬らしい気候になってきましたね。我が家は家族3人そろって大風邪をひいています。昨日、ガレリア座の演出練習があったのですが、風邪の状態で、歌だのセリフだので声帯を酷使してしまったせいか、今朝起きてみたらノドが痛くて痛くてタイヘン。年末年始のお休みの間に、なんとか療養してしっかり治したいです。

さて、今日は、先日見た、特撮映画「さくや妖怪伝」について少し。

平成ガメラシリーズの樋口真嗣さんが特撮を担当している、ということで、ずっと見たいなぁ、と思っていたのです。監督が、原口智生さん(ガメラの造型担当)ということもあり、まぁストーリには全然期待してなかったのですが、案の定。

一級の造型マンがいて、一級の特撮マンがいて、個性的な役者さん達を揃えておいて、これほどつまらん映画が作れるってのは、これはある意味才能かもしれん。あ、私って、大甘の映画ファンなんで、つまらん映画、なんて言葉をあんまり口にしないんだった。中々楽しめるところは沢山ありましたよ。面白い部分は沢山あった。うん。

なんと言っても、映像が非常にきれい。特撮映像の素晴らしさは言うに及ばず、主役の安藤希が実に美しく、凛々しい。芝居は大根だけど、あのきりりとした横顔は本当に魅力的。松坂慶子が貫禄の美しさ。貫禄がある、というのと、美しい、というのが両立する、というのが、この人のすごさだなぁ。

特撮シーンについては、何も言うことはないでしょう。樋口さんの映像センスは、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の逆襲」の頃から、CGという自在なツールを手に入れた現在に至るまで、そのこだわりを全く捨てていない。安易に妥協するのではなく、徹底的にこだわって作られたミニチュアワークとCG合成の美しさ。富士山大噴火の映像の迫力。土蜘蛛との戦闘シーンのミニチュアワークの完成度の高さ。この人にこんなつまらん映画じゃなくて、もっといい素材を与えてあげられたらなぁ。あ、また、つまらんって言っちゃった。

なんでこんなにつまらんか、といえば、脚本が全然ダメなんですよ。一つ一つのセリフがすごく安易で薄っぺらい。いくらでもイメージを脹らませることができる、中々深みのある異世界を提示しているのに、セリフの一つ一つがあまりに練れてないから、展開も強引で全然面白くない。塚本晋也なんて、ものすごくインパクトのある役者さんなのに、セリフがぺらぺらなもんだから、何だかはしゃいでるだけみたいな、軽いキャラになっちゃった。いっそ、塚本さんに監督してもらった方がよかったんじゃないの?もったいないなぁ。

まぁでもね。この映画を見たいなぁ、と思う人たちは、特撮シーンやら、妖怪の造型が観たいんだよね。私もその一人だし。物語とか、映画としての出来に期待なんかしてない。すごく不思議なんだけど、日本映画においては、いわゆる「ビジュアリスト」という人たちがえらくハバを効かせる。なんでだろう。平成ガメラシリーズがすごい、という話になった時に、特撮監督の樋口さんが随分とクローズアップされるけど、あのシリーズが面白かったのは、金子修介の演出と、伊藤和典の脚本がよく出来てたからだぞ。

ある高名な映画監督が、「脚本がいいのに、出来の悪い映画、というのはあるけど、脚本が悪いのに出来のいい映画、というのはありえない。脚本がとにかく第一だ」とおっしゃった、という話がありました。特撮だの造型だの、どれほど美しい映像を作るか、なんていうのは、映画の「手段」であって、「目的」ではないんです。いわゆる「ビジュアリスト」といわれる人が撮る映画っていうのは、全編がプロモーションビデオみたいになっちゃう、とよく言われますよね。映画っていうのは、映像だけじゃどうにもならないんです。

そんなどうにもならない「さくや妖怪伝」という映画の中で、やっぱり、すごかったのは、丹波哲郎松坂慶子さん。このペランとした中身のないセリフを、このお二人がさりげなく口にすると、途端に重みが変わってくる。この存在感はなんだ。それでも、いくら名優さんたちが頑張っても、いくら映像が美しくても、映画としては駄作です。そういう映画なんて、世間には一杯あるんだろうけどね。

樋口さんが、以前、「トップランナー」という番組に出られた時に、「可愛い特撮映画を撮りたい」とおっしゃっていたのが、今でも印象に残っています。パニック映画や怪獣映画じゃなくて、「メリー・ポピンズ」のような、ファンタジックな楽しい特撮映画が撮りたい、とのこと。その後の作品を見ると、まだこの夢は実現できていないようですね。そういう楽しい、可愛い、出来のいい脚本を、この優れた特撮マンに与えてあげられる人はいないのかなぁ。