「春はのけもの」~この現実と地続きの異世界旅行~

自分の学生時代ってのは小劇場演劇が無数にあって、自分も結構そういうお芝居を見に行きましたけど、プロセニアムによって区切られた物語世界を、少し離れた客席から眺めるものだった演劇を、客席も巻き込んだ異空間のエンターテイメントに変貌させた小劇場の熱気にくらくらした記憶があります。最近あんまり、そういう会場全体が異世界に変貌するような演劇を見る機会がなくて、さくら学院の卒業生の飯田らうらさんが出演してた「劇メシ」(レストランを借り切って店内全体を使ってお芝居をする企画)の配信映像なんかを見て、こういうのも面白そうだなぁって思ってました。

今回、さくら学院の卒業生の黒澤美澪奈さんが、大学受験のための休業から復帰して舞台をやるという。それも、「♭FLATTO」という、場所を選ばすどこででもお芝居をやろう、という企画団体の旗揚げ公演。公演会場は渋谷の雑居ビルの中の小さなバー。これは見たいなぁ、と思って、思わずチケットを購入。今日はその舞台の感想を。日常世界が非日常の異空間に変貌した先にさらに現実世界につながるのだけど、その現実世界はアイドルという非日常の異世界にまたつながっているという、パラレルワールドの連続体を旅しているようなトリップ感を味わえた時間でした。

 

出演:

黒澤美澪奈 / 田中日奈子 / 清水らら / 松村遼 / 横大路伸

スタッフ:

作・演出: 横大路伸

 

という布陣。

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会場になったBAR TRIANGLEの営業時の写真をネットで探しましたけど、こんな感じの普通のバーです。このカウンターの椅子をなくして、写真の左側のソファー席を壁際に並べて、その前に椅子を少し並べて、全部で客席は20席。この写真の中央の床部分と、右側のカウンター奥が演技空間になる。

大人になった主人公が高校生時代のエピソードを回想する、というドラマ構成の中で、冒頭の黒澤さんのモノローグから、一気に時空が歪む。黒澤さんとインタビュアー役の横大路さんの間のやり取りで時間が現在と過去を行ったり来たりする。演技スペースに置かれた机と椅子、というわずかな舞台装置が教室を表し、バーカウンターは教卓になり、教卓の教師と生徒が同じ客席方向を向いているのに、対面しているように見せる演劇的効果。バーカウンターの奥は学校の廊下になり、帰り路になり、寄り道途中の橋の上や川の土手になる。ある意味手作り感満載なんだけど、客席の想像力を絶えず刺激する役者さん達のプロの芝居力で、空間がリアルな重量感のある物語世界に見えてしまう。そして、細かい所に丁寧に仕込まれた伏線を回収しながら、所々にキラキラした言葉を散りばめた脚本の構成の妙。プロの舞台の凄みを随所に感じる。

黒澤さんはさすがの座長の貫禄だったんですけど、ミレニアム桃太郎に続いて、この人に「あてて書かれたお芝居」が商業企画として成立してしまう、というのは色んな意味で凄いなぁ、と思いました。さくら学院の父兄さん達、という固定ファンを持っているのももちろん強みだと思うけど、横大路さんのような作家さんが、「この人にあててお話を書きたい」と思ってしまうのが黒澤さんのパワーだよね。私が関わっているオペラの世界でも、たくさんいるソプラノ歌手の中で、「この人は間違いなくプリマだ」と言われる人たちがほんの一握りいるんだけど、黒澤さんは間違いなくプリマの器なのだと思う。

もう一つ、黒澤さんって舞台向きの人だなぁ、と以前から思っていましたけど、生で聞くとさらにその印象が強くなりました。よく言われる「顔のうるさい」表情の豊かさだけじゃなくて、滑舌含めた発声が舞台の発声なんですよね。数百人のホールの隅々までマイクを通さずに、生の声で言葉を届けるために鍛えられた発声と滑舌。絶叫芝居だけでなく、普通のセリフを喋っている時でも、豊かな響きでハコ全体が共鳴するような瞬間が何度もありました。

 この黒澤さんの持っているパワーがお芝居全体の推進力になっていくのだけど、それを受け止める田中日奈子さんの凛とした美しさも印象的。宣材写真やツイッターの動画見て、和風のすっきりした美人だなぁって思ってたけど、実物は写真より数倍キレイだった。

ラスト近く、子供の頃から背負った宿命に対する覚悟と、それ故の拒絶に自分に傷ついてしまう田中さんのセリフには、若い頃からショウビズの世界に飛び込んで色んなものを犠牲にしてきたかもしれない田中さん自身の思いも少し含まれているのかも、なんてちょっと思いました。ラスト、悲しい別れを新しい出会いに再生させようとする3人の物語への期待を、20人の来場客一人一人の瞳を覗き込むように見つめながら呼びかける黒澤さんのセリフも、休養期間から戻ってきた黒澤さん自身に、彼女のこれからへの期待を呼びかけられているような、そんな現実と虚構の交錯する感覚を何度も感じて、それもこういう小さな演劇空間ならではの異化効果だなぁと。

そういう意味では、ある程度、素の自分に役柄を引き寄せる演技もできたかもしれない黒澤さんと田中さんに比べて、清水さんの演じたのどかという役は、より虚構性が高く、ドラマの起伏の核を担っている役で、演じるのに物凄くパワーが必要だったんじゃないかな、と思います。でもこの清水さんが良かったんだ。技巧的なセリフも感情に乗せたセリフも、繊細な表情の変化も、自然にこなして決して作り物の感じがしない。「私はのけものだ」という物語のタイトルを呟く瞬間のリアルな感情の重さ。もともとすごく可愛い方なのに、親友から無神経な言葉を告げられて傷つく時のちょっと歪めた顔の表情など、小さな演技のリアリティが胸に迫る。清水ららさん、という役者さん、今回初めて拝見したんですけど、自分の中で要チェックの役者さんになりました。

さくらの卒業生を追いかけていると、色んな素晴らしい才能に出会うことができて、それがさくら父兄の醍醐味だったりします。子供たちの心の支えになっている安心感を自然に演じていた松村さんも素敵な役者さんで、上背のすごくある方なので、大きな舞台でこの人の演技を見てみたいなぁ、なんて思いました。

もう取り返すことができない真実に触れて涙を流すのどかを、大人になった咲良が抱きしめるラストは、冒頭の咲良のモノローグで触れられた、果たせなかった約束、叶わなかった願いを時を超えて抱きしめようとする人間の普遍的な願望のように見える。めくるめく異世界への旅はまた振り出しに戻って、カーテンコールで我々の前に立った三人のお嬢さんは、もう普通の女子高生ではなくて、我々の手の届かない華やかな芸能界のアイドルの顔をして、一回り大きくなって次の舞台へと旅立っていく。黒澤さんの復帰第一作にこんな素敵な作品を作り上げてくれた横大路さん、夢のような時間をありがとうございました。コロナで忘れていた生の声の力、空間を、思いを共有する時間の心地よさを、もう一度思い出させてくれた、本当に濃密な時間でした。