合唱指導さまざま

土曜日、大田区民オペラ合唱団の練習に参加。山口先生がお休みだったので、副指揮者の藤丸 崇浩さんが指導。この指導が面白かった。イタリア語の細かいさばき方の指導も分かりやすかったのですが、「口から声を漏らすのじゃなくて、口にラップをするような感じで声を出して」とか、「ノドの近くでさばくのじゃなくて、もっと遠くの下半身を頼るんです。近くの親戚にお金を借りるのじゃなくて遠くの親戚にお金をかりるような感じ」とか、レトリックが非常に面白いし、いちいちすごく腑に落ちるんです。芸大の学部を卒業されてまだ2年目くらいの若い指導者なんですが、声や音楽に対する分析がしっかりしていて、すごく勉強になりました。

合唱の指導、というのは、人間の肉体を使った「歌」という楽器を扱うだけに、音楽指導の中でもかなり特殊なノウハウが必要とされる気がします。簡単に言えば、歌い手をどれだけメンタルに「のせる」ことができるか、というノウハウ。それって結局、役者を「のせる」演出家とか、あるいは、民衆を扇動するアジテーターのような能力だったりする。オケの指揮者だってそういう能力は求められると思いますが、合唱指揮、というのは、メンタルな部分がかなり求められるような気がするんです。

それほど多くの合唱指導者の下で歌った経験があるわけじゃありませんので、偉そうなことは言えませんけど、色んな合唱指揮者がいらっしゃいますよね。音の高低とか拍感といった色んな技術的なことをおっしゃっている時には、何を言ってるのか全然分からないんだけど、お手本としてそのフレーズを歌われると、全部分かる、という指揮者もいらっしゃる。とにかく先生の真似をして歌えばいい、という先生。ほしい声を引き出すためのノウハウのデパートのような指揮者の先生もいらっしゃいます。「じゃこうしてみて」「じゃこれでどうだ」という感じで、次々に色んな歌い方を試してみると、どんどん合唱団の声の色が変わっていく。でも、そういう「技のデパート」のような方が、実際の舞台で指揮される曲が素晴らしいか、というと、そうでもなかったりするのが指揮者の怖いところです。指導することと、指揮することは違う。

演奏者が指揮者を育てる、という側面もあるんだろうなぁ、とも思います。能力の高い演奏者を指揮していれば、毎回の練習が真剣勝負です。下手な指導をすれば、演奏者の方が「何言ってるんだよ」という感じでそっぽ向いちゃう。ある程度のパフォーマンスは出来てしまうわけだから、さらに高度な要求をするためには、さらに高度な音楽的センスが求められる。

一方で、そういう能力の高い合唱団ばっかり指導していると、普通のママさんコーラスとかの指導が出来ない、ということもあるんでしょうね。小難しいテクニック論や音楽論を振り回しても、チンプンカンプンの人たちだっている。そういう人たちに、楽しく上手に歌わせるノウハウだって必要。でも逆に、そういう人たちばっかり相手にしていると、どんどん自分の「指導テクニック」がなまくらになってきてしまう。

辻正行先生は、一方で大久保混声合唱団やCRBのような一級の合唱団を指導されながら、「僕は下手な合唱団を上手に歌わせるのが得意でねぇ」とにこにこおっしゃっていたそうです。やっぱり一流の指導者というのは、すごいんですねぇ。中華料理の名人が、でっかい包丁一本で、どんな食材でも上手に料理してしまうようなもんでしょうか。