「枕詞の暗号」〜言葉の多層性〜

久しぶりで図書館で本を借りて、藤村 由加 著「枕詞の暗号」という本を読んでいます。

「あをによし」「ちはやぶる」などの枕詞を、単に、慣習的なもの、被枕詞を引き出すための単なる美辞、という位置にとどめるのでなく、枕詞の中にある大陸からの思想的背景や、文字の連想などから、被枕詞と枕詞の関係を解析していくアプローチ。「あしびきの」が、韓国語の「タリ」という言葉から、「あし」「ひき」「やま」と連想されていく過程。そして、足を開いている人という形への連想からさらに、「ひき」寄せられていく恋人、互いに寄り添っている恋人への思いを表現していく・・・といった暗号解きの面白さ。言葉というものの持つ多元性、多層性と、31文字の中に豊かな意味世界を読み出していく面白さ。果たして、本当に著者が言うような意味世界が存在するのかどうか、という問題は別として、言葉というのは解釈や読み替えによって、いくらでも広がっていくものなんだなぁ、というのを実感させてくれる本です。

テキスト=言葉、というものは、記録された瞬間から、その言葉を発した人のもともとの思いを越えて、分析され、読み解かれ、解釈されるものなんですね。もともとの思いと言葉の間には乖離がある、その乖離を埋め、言葉を発した人の思いを追求していく、というアプローチもあります。一方で、言葉自体の持つ多元性、多層性から、言葉を発した人の思いをはるかに越えて、もっともっと違う意味や、違う世界を展開していくアプローチもある。この本は、「人麻呂がそんなことまで考えてこの歌を詠んでるのかなぁ」というイジワルな見方をするよりも、後者のアプローチだと割り切って、言葉の持つ意味世界の豊かさの中で遊ぶ本、として楽しむのが正しい気がします。

面白い本ではあるんですが、絶対お奨め本か、というとちょっと、そこまで踏み込む気になれない部分もあります。その理由は2点ほど。1つめは、この本全体が、どうも読者に媚びているような書きぶりから逃れられていないこと。わりとまっすぐな学術的な本だと思うんですが、「売れる本」「大衆受けする本」を目指しているせいか、取ってつけたようなフィクション部分や浅薄な状況設定が出てくる。よくあるマニュアル本で、マンガのキャラクターがニコニコしながら全然訳分からない専門用語を並べているみたいな居心地悪さ。そんなに読者に媚びなくても、十分面白いのに。勿体無いなぁ、と思いながら読んでます。

面白いことに、この本、4人の女性の共著で、それぞれのメンバーの名前から一文字ずつとったペンネームで書かれているんですね。なので、章によって、明らかに筆致が変わるんです。「読者に媚びる」道具立てにはあんまり頼らず、まっすぐに学術的に記述を進めていく章もあり、そういう章の方がはるかに面白いし、興奮する。全編この人が書けばよかったのになぁ、と思う。

のめりこめないもう一つの理由は、大陸文化の影響だけに着目しすぎているような気がすること。個人的には、環太平洋文化圏の一つとしての日本文化、というのにすごくロマンを感じているので、大陸文化の影響ばかり強調されると、どこかに反発心がもたげてくるんです。東南アジアから北太平洋、果ては南米に至るまで、縄文期に確かに存在していた、環太平洋文化圏。黒潮に始まる「潮の道」に沿って、モンゴリアンである我々の祖先が築き上げた文明。北はエスキモー、北米のインディアン、南米のインディオにまで連なり、中南米のインカ文明に至って一気に花開く。日本文化においても、この「潮の道」文化圏の影響は色濃く残っているはず。それを言語的に解析することって、無理なのかなぁ。昔、大野晋さんが、インドの「トラヴィダ語圏」に日本語の源流を見つけた、と騒いでたことがあったけど、あの説は最近どうなっているのだろう。

題材から言っても仕方ないのかなぁ、とは思うんですがね。縄文文化には文字らしい文字はなかったもんなぁ。日本に文字をもたらしたのは中国であり、韓国ですから、言語体系に大陸の影響が色濃く出てしまうのは当たり前。そういう切り口で見たときに、単純な5つの音の連なりに過ぎなかった枕詞が、陰陽五行の宇宙観に基づいた広大な広がりを見せる様は、確かに面白く、エキサイティングです。同じ著者では、「人麻呂の暗号」が有名ですよね。こちらの方も読んでみようかな。