「フランチェスコの暗号」〜歴史暗号青春ミステリー〜

図書館に行って、なじみの作家の本や、昔話題になった本なんかを漁る中で、時々、題名だけを見て、「これは面白そう」と借り出す本があります。この「フランチェスコの暗号」もそんな感じで手に取りました。「ダヴィンチ・コード」でブームになった、ルネッサンスと暗号を組み合わせたミステリー本、という触れ込み。

この手の歴史ミステリーというのは、井沢元彦さんの諸作品とか、結構好きなんです。「ダヴィンチ・コード」もかなり夢中になって読んじゃったしね。で、「フランチェスコの暗号」なんだけど、「ダヴィンチ・コード」と比較して、ミステリーとしても、ストーリとしても弱い、というネット書評が多いみたい。でも個人的には、「ダヴィンチ・コード」の、絢爛豪華なんだけど実はかなり中身空っぽ、というハリウッド映画風のハッタリよりも、地に足着いた印象があって好きだなぁ。

地に足着いた印象、というのは、この作品の大きな二つの柱のリアリティのおかげ。一つは、謎の種本となる、「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」という、15世紀イタリアの実在する奇書。この本の中に秘められた謎を解読していく暗号解きの過程が、物語の大きな柱になる。本が実在している、という現実の前に、あらゆるフィクションが沈黙する。「ダヴィンチ・コード」に描かれた「シオン修道会」という「秘密結社」の胡散臭さに比べると、この実在感の重みが違う。加えて、本に秘められた謎も、「ダヴィンチ・コード」のように、キリスト教の根底をゆるがす、みたいな大げさな話じゃなくって、美と芸術に身を捧げた一人の貴人の悲劇、という、実にリアルなもの。その悲劇も、歴史の中の一つの有名なエピソードを背景にして、リアリティあふれるものになっている。

加えて、もう一つの柱が、主人公を含む4人の大学生たちの友情、という青春物語。4人それぞれの葛藤と成長の過程は、どこか「アメリカン・グラフィティ」を思わせる。その底流にあるのが、「ヒュプネロトマキア」という奇書に取りつかれた若者が、その本の中にある真実に人生を捧げようとする真情。それが、この奇書の作者とされる、ルネサンスの暗黒の時代に、美と芸術に命を捧げた貴人の生涯と重なる。巨大な謎に挑む中で、結局その謎を解くことができずに破滅する人生、そこから逃れようとする人生、謎を独占しようとする悪意、様々な人生が交錯する中で、真実を極めた精神が最後の救済をもたらす。

色んなネット書評が指摘している通り、青春物語の比重が大きすぎて、謎解きのスリルを殺いでいる、というのはその通り。そういう意味では結構、イライラする部分も多い(恋物語はどうでもいいから早く謎解きしろ!と思っちゃう)し、全体のバランスが悪いところは否めないと思います。でも、アメリカのミステリ小説って、大なり小なりそういうところがあると思うんだがなぁ。先日この日記にも書いた、グリシャムの「依頼人」とかでも、本筋と関係ない部分がかなりまどろっこしかったし。でもそういう冗長な部分を乗り越えて、最後にたどり着いた読後感は、決して悪くない。同じ夢を共有し、同じ言葉と感性で語り合うことができる、青春時代のかけがえのない友情の絆が、時と空間を越えて再び結びつくラストシーンには、思わず胸が熱くなる。ミステリ部分だけで押していく謎解き小説とか、サスペンス部分をふんだんに盛り込んだエンターテイメント小説を期待すると、ちょっと厳しいと思います。ちょっとひねった青春小説と思って読むのが正しいね。

それにしても、「ヒュプネロトマキア」っていう本が存在していて、未だにその謎が解けていない・・・なんて話、なんか、いいなぁ。なんだかワクワクするよね。そういうワクワク感を逆手にとって、時々「偽書」を作っちゃう人が出てきたりするから困るんだけど。中国あたりにも、面白そうな「奇書」が色々ありそうだよねぇ。