関屋晋先生追悼〜俗と聖の共存〜

例によって、週末のインプットをいくつか並べます。

・土曜日は家族で多摩川べりで、日曜日はガレリア座の仲間と新宿御苑でお花見。ランチビールってなんでこんなに美味いんだろう。
・土曜日の夜、大田区民オペラ合唱団の練習に参加。
・日曜日の朝、女房から、関屋晋先生の訃報を聞き、驚愕。
・日曜日、クラシカジャパンで放送されていた「東京ワルツ」をちらりと見る。
・日曜日、NHK教育で放送されていた杉村春子さんの映像を見て、口跡の素晴らしさに驚嘆。

例によって、きっちりまとまったインプットというのではないのですが、ちまちましたインプットからでも得るものはあるもんです。今日は、その中でも、女房ともども驚愕してしまった、関屋先生の話を書きましょう。

関屋晋先生のお名前を知ったのは、例の、小澤征爾さんがベルリンでやった「カルミナ・ブラーナ」のCDです。晋友会合唱団という団体が成し遂げた一つの金字塔。イベントとしては、バブル絶頂期の金満ニッポンだったからできたこと、という気もしないでもないですが、ロックフェラービルを買ったり、ひまわりの絵を買ったりするよりは、よっぽど意味のある、素晴らしい企画だったし、それを実現させてしまったパワーは驚嘆するべきことだったと思います。日本の合唱団が世界に通用することをはっきり示してみせた快挙。

その後、辻正行先生の追悼演奏会で、大久保混声を指導された話を女房から聞く。その前知識付きで聞いた東京文化での「水のいのち」は、大道芸人のようなパフォーマンスで、本当に面白かった。演奏の前に、指揮台にスキップするように歩み寄るお姿。前説で、追悼の辞なんだか、お笑いを取りに来たのかよく分からないギャグを飛ばした直後、正行先生を偲ぶ言葉で思わず涙を溢れさせる感情の激しさ。そして演奏はといえば、美しく、端正な日本語を響かせるはずの大久保混声合唱団が、関屋先生の指揮で、なんともダイナミックで人間臭い「水のいのち」を聞かせてくれました。生の関屋先生の指揮を見たのはこれが最初で最後だったのですが、この短い時間で、関屋先生の、いい意味での俗っぽさに触れた気がしています。

その後、この日記でも紹介した「コーラスは楽しい」という著作で、その人柄の温かさに触れる。本当に、俗っぽい人だなぁ、と思うんです。芸術家の本というよりも、「いい合唱団を作るためには」という経営術の指南本のような感じ。指導を受けた女房に言わせれば、精緻な音楽理論とか、指導ノウハウとかで勝負されるわけじゃなくて、「そこの男声もっときれいに歌って!」とか、「(いい声で歌うと)いぇーす!!」なんて叫んだり、なんとも力任せで芸術家っぽくないご指導だったそうです。もちろん、技術的・芸術的な部分では十分能力の高い大久保混声合唱団だから、そういうメンタルな指導をされた、という側面もあるのでは、と推察しますが、そもそものお人柄が、「芸術家」というお高くとまったところのない、本当に温かいお人柄だったのでは、と想像します。

つい先日、NHKの合唱コンクールの模範演奏を指揮されているお姿をNHK教育で拝見。いつものガラガラ声で、「とにかく元気に歌いましょう!」なんておっしゃっている姿が、なんとも関屋先生のイメージにぴったりで、思わず笑ってしまいました。76歳なんて年齢を感じさせない若々しさで、てっきりまだ60代だ、と思い込んでました。

京都エコー合唱団と松原混声合唱団の合同ステージのゲネプロ中に、突然倒れられ、そのまま帰らぬ人となったと聞きました。最後まで指揮をし続けて、最後まで、人々の歌声の中にいて、そのまま逝ってしまうなんて、なんて関屋先生らしい最期だったんでしょう。本番の指揮台から袖の車椅子まで歩いて、車椅子に座り込んでそれっきり、二度と立ち上がれなかった正行先生の最期の姿に重なります。まさに、合唱に捧げきった人生。

本当に、合唱が心底好きな方だったんだと思います。合唱が好きで好きで、こんなに素敵な合唱というものを、みんなに楽しんでもらいたい、その一念だけで、一切の功名心や邪心なしに、生涯現役を貫かれた方だったんだな、と思います。残された方々、関係者の皆様のお嘆きは察するに余りあります。生前も仲のよかった正行先生と一緒に、高い高いところから、自分たちが育てた日本中の合唱団の歌声を、あーでもないこーでもない、と、ずっと聞いてらっしゃるんでしょうね。心から、ご冥福をお祈りいたします。