3年B組 金八先生〜虚構の限界〜

この週末は随分と活動的でした。とりあえず、色んなインプットをざらっと並べておきます。

・金曜日、四谷区民センターで、新宿オペレッタ劇場9を観劇。終演後、打ち上げ会場にお邪魔して、出演者の皆様と深夜まで歓談する。

・土曜日、久しぶりに大田オペラ合唱団の練習に出る。

・日曜日、娘が福引であてた商品券を持って、オペラ観劇帰りの女房と、京王プラザホテルで夕食。

・帰宅後、録画しておいた、「3年B組 金八先生」の最終回を見る。

今日は、最後の、「3年B組 金八先生」の話を。
 
京王プラザホテルのビュッフェで、ちょっと贅沢な夕食をいただいた後、(といっても、娘が近所の商店街の福引であてた商品券を使ったので、出費は大したことはない)帰宅。録画しておいた「金八先生」の最終回を見始めたら止まらず。結局、深夜までかけて見てしまいました。娘は、「朝のうちに見ておけばよかったじゃん」と、至極もっともなご指摘。すみません。

金八先生」のシリーズは、ほとんど見たことがなかったんですが、女房が結構好きで、前回シリーズあたりからチラチラと見始めました。今回のシリーズも、全話のうち、半分くらいは見たかなぁ。

このシリーズの最大の見所といえば、生徒役の役者さんたちの「品定め」にある気がしてます。今後、どこまで成長してくれるか、という、若手役者の登竜門のような番組ですものね。今回の生徒役の中では、稲葉舞子役の黒川智花さん、狩野伸太郎役の濱田岳さんが、なんだか別格の存在感を示していた、というのが、女房と私の一致した意見でした。黒川さんは、デビュー当時、最も輝いていたころの宮沢りえさんを、もっとノーブルにしたような感じの、気品あふれる美少女。この人は和装が似合いそうだなぁ。是非次は大河ドラマに出てほしい。濱田岳さんは、完全に一人の役者として、完成された芝居をしていましたね。大人の役者と対等に渡り合っている。ティーン役者の芝居じゃない。

大人の役者さんでは、丸山しゅうの母親役の、荻野みどりさんが、陰影の深いいいお芝居をされていました。さすがだなぁ、と思ったのは、校長役の木野花さん。卒業式の挨拶は、全くてらいなく、余計なけれんもなく、淡々と、過不足のない感動的なお芝居。女房ともども、「役者が違う」と感嘆しておりました。

ドラマのテーマが「ドラッグ」ということだったんですが、重たいテーマを丸山しゅう役の八乙女光さんが一人で背負ってしまった感があって、結構辛かったですね。お芝居は実に達者で、濱田さんと同等くらいに存在感のある役者さんなんですけど、重たいお芝居を体当たりで演じている姿が痛々しいくらいで、見ているこちらが辛くなってくる感じがしました。

女房が言っていたのですが、ドラマとして作られた虚構の世界、それもTVという大衆メディアであることの限界、のようなものを、随所に感じたドラマでした。主題である「ドラッグ」に侵されていく丸山しゅう、という少年は、ドラッグに侵されていく心理的な必然性が、視聴者に非常に分かりやすく造型されています。崩壊した複雑な家庭環境や、友人との軋轢など、分かりやすい状況の中で、ドラッグに逃避していく。でも、女房が言うには、「本当に怖いのは、どうしてこの子が、というくらいに、普通の家庭にいる普通の子供が、理由もなくドラッグに溺れてしまうことなんだ」。

もちろん、この番組が提起している、薬物の恐怖、という課題はとても重い。テーマとしては極めて今日的だし、今、対峙しなければならない大事な話です。これから成長していく子供を持っている親としては、十二分に肝に銘じておかねばならない課題。でも、問題の本質をえぐりだすには、TVドラマ、というツールには限界があるんだなぁ、と思いながら見ていました。

要するに、どこかで、「これは虚構である」=「これは他人事である」という感覚から脱出できないんですよね。分かりやすさ、アピールしやすさを追求するメディアだからこそ、分かりやすい状況を設定する。それは往々にして、丸山しゅうという、「こんな子供ありえないだろう」という、虚構のキャラクターを、テーマの仲介者として採用してしまう。それが、虚構、とりわけTVドラマという虚構の限界でもある。現実はもっと恐ろしい、もっと大変なことが起こっている。そういう意味では、現実が虚構を超えてしまっている。虚構が現実を越えられない。

そんなことを、少し慄然とした思いを抱きながら見ていました。しかし、ほんのちょい役の裁判長役で、平田満さんが出てきた時には、ぎょっとしたなぁ。出番はほとんどないのに、なんであんなに存在感があるんだ。すげえ。