子供は詩人

春が近づいてきました。まだ肌寒かったり、昨日のように雨が降ったり、外出が気持ちいい、という所まではもう少し。でも、昨日、女房と娘は、ちょっと張り切って近所の「アンジェ」という庭園に出かけました。以前にもこの日記に書いたと思いますが、京王が経営している、多摩川駅前の庭園公園です。

天気も今ひとつで、かなり寒かったようなのですが、娘は久しぶりの公園遊びにご満悦だったそうです。その公園での会話を、女房が後から報告してくれたのですが・・・

ちょっと風が冷たくなってきたとき。
女房「子どもは風の子っていうから、元気に遊べるよね」
娘「子どもは、神様の子だよ。」
…しばし考えて
娘「そうか! 神様が風の中にいるんだね」

なかなか日がさしてこない。
女房「ちょっとまだ寒いねえ」
娘「仕方ないよ。まだきちんとした春じゃないもん。今は、だらんとした春なんだよ。きちんと春になればあたたかくなってくるんだよ」

帰宅後、「だらんとした春」と、「きちんとした春」って、どう違うの?と聞いたら、だらんとした春の風と、だらんとした春の花のつぼみをダンスで表現してくれました。きちんとした春になると、風も「ぼわん」、となって、つぼみは「まんぱい」になるそうです。

子供は詩人だ、と言いますけど、本当にそうですね。大人の常識では考えられない言葉の組み合わせが出てくる。それがすごく面白い。もちろん、コントロールできているわけじゃなくて、偶然の産物なわけですから、いわゆる「詩人」とは違いますけどね。そう考えると、世の中の「詩人」といわれる人たちは、子供が偶然に生み出すトリッキーな言葉の組み合わせを、自分で意識してコントロールしながら繰り出すことができる人たちなんだなぁ。

娘の語彙がどんどん増えて、それを大人のロジックで組み立てることができるようになれば、今みたいな新鮮な驚きも段々減ってくるのかもしれません。今は、娘が繰り出す思いがけない言葉の力に、驚いたり、感動したり、大笑いしたり、という時期です。言葉というものが持っているパワーや、可能性を、娘が教えてくれている、そんな気がしています。