基礎に戻る。身体を認識する。

昨夜は、私の歌の師匠である、山口悠紀子先生のところでレッスン。オルレンドルフの登場の歌を見てもらいました。一通り歌った後、先生が顔をしかめて「こりゃキツイ歌だねぇ」、と一言。いやホント。「これは、かなりの歌い手でも、うまく歌いこなすのは難しい歌だよ」と言われて、ううむ、と悩む。母音の矯正や、原語に戻ってのフレーズ感の組み立てなおしなど、もう一度基礎に戻って、歌の全体の組み換えをやりました。「うまく歌いこなす」なんてことは絶対無理としても、なんとか「歌に聞こえる」くらいまでのところまで持って行きたいと思います。それでも、ハードルは高いよ。

本番が近づいてくればくるほど、処理しなければならない情報が増えてきます。立ち位置、セリフ、段取り、振り付け、衣装、メイク、小道具その他・・・そういう様々な情報を処理していく中で、我々アマチュアが陥りやすいのが、「音楽」をおざなりにしてしまうこと。オペレッタと言えども、ドラマのエネルギーは全て、音楽から発している。それが基本のはず。振り付けに夢中になって、声が出なくなったら本末転倒ですよね。でも、振り付けって気になるんです。音楽よりも気になっちゃう。ステップを間違えないか、右手と左手を間違えないか、なんて考えているうちに、音楽がおざなりになる。でも、ステップよりも音楽の方が、よっぽど大事なはず。ステップが出来なくて、歌も歌えないのだったら、ステップなんかしないで、歌に専念した方がよっぽどいいはずなのに。

全部、体に入れないとダメなんだよね。音楽も、ステップも。そういうものが全部、体の中に落とし込まれていないと。残りの練習回数はすごく少ないけれど、普段の時からイメージトレーニングを重ねて、ひたすら落とし込む作業を続けなければ。昨夜のレッスンの成果も、まだ全然体が覚えていない。時間がないぞー。

以前、「歌というのは陸上競技に似ている」という話を書いたことがある気がします。歌のレッスンを受けると、自分の身体性を非常に明瞭に自覚します。下半身の筋肉。膝を緩める感覚。頭蓋骨の前方に声の響きを集める感覚。目を見開いて、そこから声を飛ばすイメージ。一つ一つの音ごとに、自分の骨盤の中心あたりに、どん、と重りを落とすようなイメージ。全て、身体が楽器ゆえの、自分の身体性を自覚する作業。舞台上の表現を磨くこととは、歌も、セリフも、所作も、全て自分の身体をいかに自覚的にコントロールするか、というテクニックを磨くこと。

ガレリア座もお世話になっている美容室LarteのMさんの日記「Mostly Aesthetic(http://d.hatena.ne.jp/larte/)」が非常に面白い。最近の記述の中で、「触れて確かめる」という言葉が出てきて、美容師さんというのはまさに、人間の身体に触れることで成り立っている、身体性を自覚することで成立する職業なのだなぁ、と改めて思いました。人間の精神が肉体から遊離していくことの多い昨今、歌、という作業によって、自分の身体そのものを使ったコミュニケーション能力を、できる限り最大化してみたい。そこに集う人たちの一人でも多くに、楽しい時間、幸福な時間を届けるために。