「オニババ化する女たち」〜社会と自然〜

週末、風邪が悪化して完全ダウン。脳ミソの3分の2くらいがハナミズになって流れ出した気分である。ひたすら自宅療養の結果、なんとか会社に出てこれるまでには回復しました。おかげでガレリア座の練習も全部ブッチ。全然まともに歌えない日々が続いている。あうう。

そういうわけで、週末のインプットは、ぼんやり寝転がりながらのDVD鑑賞と、読書に終始してしまいました。音楽関係のインプットは全くなし。ちょっと貧しいインプットの中から、特に心に残ったものを4つほど。

−話題になっているとは知らずに、何気なく書店で購入した「オニババ化する女たち」を読了。
ドキュメンタリー映画「柳川掘割物語」を観る。
−特撮映画「さくや妖怪伝」を観る。
−「美少女戦士セーラームーン」、わりとはまっちゃってます。

今日は、「オニババ化する女たち」のことを。これは中々面白かったです。結構週刊誌などで話題になっている、ということは全然知らずに、書店でふと手にとってみて、「女性の身体性を取り戻す」というコピーが面白そうで、思わず購入。読み進めるとこれが中々面白い。

月経・出産という、女性の身体が必然として持っている、「種の存続」のための機能を、煩わしいもの、男社会の中で男と伍していくためには邪魔なもの、と、なるべく遠ざける、というのが近代社会のアプローチであった、とまず規定。そして、そういうアプローチこそが、女性の本来の力を弱め、阻害してきたのでは、と指摘する。そういう女性の「身体の持つ本来の力」に肯定的に向き合った時、女性の持つ本来のパワーが取り戻せるのでは、という主張。

そういう主張自体には、非常にシンパシーを感じます。こういう言い方をすると語弊があるかもしれないのですが、身近にいる女性方と接している時に、「ああ、この人と話していると、すごく心地よいなぁ」と思うときがあります。それは、仕事の話でもそうだし、プライベートでもそう。男性同士で話しているのとは違う、安らぎ感というか、温かさ。それは、仕事を進める上でも、何か芸術活動をする上でも、非常にプラスになる温もり。

そういう温もりを持った女性、というのは、決して、男性的な女性ではありません。むしろ非常に女性らしい方が多い。男性に媚びているようなギラギラしたフェロモンを発散しているセクシーさ、ではなく、むしろパートナーに恵まれて、満ち足りた表情をされている女性の方に、そういう女性らしい温かさを感じることが多い気がするのです。

また、この本を読んで、非常に納得したのは、子宮を意識することで、身体の軸が定まる、というくだりです。昔の女性は、子宮口に綿球を入れて、それを常に意識することで、月経をコントロールできた。そして、その意識が、着物を着ているときの立ち姿や所作を非常に美しいものにしていた。このくだりはすごくよく分かりました。

歌を少しかじっている身としては、自分の性器の近辺の筋肉を意識する、というのが歌の基本なんですよね。ここに、身体の軸がある。男なら、おちんちんの周囲の筋肉を、女なら、子宮を意識する、というのは、歌を歌うのにとても大事なこと。先日、着物を着た時に思ったのですが、男の帯は腰をぎゅっと締め付けるので、腰がきゅっと据わるんです。おちんちんの周囲の筋肉がきりりと締まる。これは歌にもいいなぁ、と思いました。普段実行するのは中々難しいのだけど、これがきちんとできると、歌の軸ができる。身体の軸ができれば、歌の軸ができる。これも非常に得心がいく。

この本の問題点は、「女性の身体性を取り戻したい」という主張と、現実社会の間のあまりのギャップの大きさに、筆者自身が非常にいらだっていることです。解決方法が見つからない。どうやったら、女性の中の自然の力を抑圧し、否定し、自然から遊離しようとする近代社会を変革できるのか。その解がない苛立ちが、数々の過激な発言になり、それがまた、マスコミを喜ばせ、この本を否定しようとするフェミニストたちを喜ばせている気がする。

「おめかけさんを復活すればいい」「相手なんかだれでもいいから、早く結婚しなさい」「結婚しなくても、とにかく早く子供を産みなさい」「そうしないとオニババになるよ」・・・数々の過激な発言の裏には、現実社会へのどうしようもない怒り、絶望があるように思います。それくらい過激な発言をしないと、世の中は変わらない。でも、そんなに過激な発言をすればするほど、逆に支持者たちの腰が引けてしまうんじゃない?・・・と、要らぬ心配をしてみたりする。

問題は、社会と自然、という、本来対立するべきでなかった概念が、どうしようもなく対立してしまっていること。昔、「自然」という言葉の反対語として、「人工」という言葉を教わったとき、どうして、自然の一員であるはずの人が作ったものが、自然の反対語になっちゃうだろう、と、子供心に妙に違和感を感じた覚えがありました。もう少しなんとかならんのかなぁ。

大事なことは、やれることからやること。まずは、家族を大事にすること。子供を抱きしめること。パートナーを抱きしめること。もっと、互いに触れること。そういう、身近にできることから始めるべきなんだろうし、たぶん、この本の筆者も、それはよく分かっている。分かっている上で、こういう過激な本を書いてしまうところに、現代社会のどうしようもない病巣を、逆に感じてしまいました。