「逃げるな」

ソチ五輪が終わりますね。我が家は、「ほぼ日刊イトイ新聞」の名物コンテンツ、「観たぞxxオリンピック」のコーナーが大好きなこともあって、家族そろって五輪を堪能しております。典型的な「にわかファン」(五輪の最中だけその競技に夢中になる)なので、特にこの競技に入れ込む、ということはあんまりないのだけど、やっぱりフィギュアスケートだけは別格。この日記でも、浅田真央のアスリートとしての潔さについては何度も書いてきたけど、この五輪の浅田真央は本物の神話になりましたね。葛西さんのレジェンド、浅田真央のミソロジー
 
エキシビションを見ながら、ロシアの3人の女性スケーターがいいなぁ、と思った。ソトニコワ、ラジオノワ、リプニツカヤ、それぞれにキャラクターがはっきりしていて、しかも技術のレベルが半端ない。中でもリプニツカヤの、自らの身体能力の高さを示すアスリートらしいフィギュアがよかった。浅田真央が追究してきたものが、彼女の中に受け継がれている気がしました。
 
技術を追究するのか、表現を追究するのか。採点競技であるフィギュアスケートで、恐らくは表現力において卓越したものを持っている浅田真央が、その「表現力」という曖昧な要素に寄り掛かろうとせず、「ジャンプ」や「スケーティング」という技術を追究し続けるその姿勢に、アスリートとしてのストイックな矜持を感じる。ストイックであるがゆえに、その挑戦は苦しいし、たびたび挫折もする、それでも挑み続ける不屈の精神。誰かが、浅田真央という人には人間としての弱さと強さが同居していて、それが彼女への強い共感を生むのだ、という文章を書いていたけど、本当にそう思う。精神的な弱さを克服できずに苦しむ姿、逃げない姿勢、そんな自分の全てを観衆の目の前にさらす、その場所に立つ勇気。
 
オペラをやっていると、色んなことに逃げたくなります。私は親から非常に鳴りのいい声帯をもらったおかげで、大きな声を出す、ということに対してあまり苦労してきませんでした。でも、オペラを歌うとなると、ただ声帯に頼った歌では歯が立たない。足の裏から頭のてっぺんまで、自分の肉体の隅々を自覚的にコントロールする身体能力、技術力が必要になります。やっと最近そんなことを自覚して、声楽レッスンに通い始めて、「副鼻腔」とか「骨盤底筋」なんて単語を初めて聞いた、という話を女房にしたら、「あんたそんなことも知らずに歌歌ってたのか」とあきれられた。要するに、自分の持って生まれた声帯に頼っていたんだよね。自分の過去の成功体験を一度リセットする勇気。自分のできることに逃げるのじゃなく、できないことに真剣に向き合う勇気。
 
オペラ、というのは総合芸術なので、逃げ道がいっぱいある。演技、とか、容姿、とか、ビジネスでもあるので、チケットをどれだけ売れるか、とか、主催者や業界の実力者との人脈とか、そういう生臭いものも影響する。そういう点、五輪の競技の中でも図抜けて「興行」としての性格の強い(要するに「客が呼べる」)スポーツであるフィギュアスケートという競技にも、競技者であると同時に、「客が呼べる」かどうか、という要素がどうしても付きまとう。オペラの世界でも、時々首を傾げたくなるようなキャスティングや、プロデューサーの人脈で成り立っている舞台を見ることがあります。「表現」というものに点数をつけるフィギュアスケートに付きまとう採点の不透明さの根っこに、そういうビジネスとしての側面があるのは否定する人はもう多分いないでしょう。
 
そういう中で、「競技」としてのフィギュアを守ろうとする精神が浅田真央にはあるし、同じ精神をリプニツカヤのストイックさにも感じる。フィギュアをビジネスにしようとする勢力に対して、フィギュアはスポーツなのだ、ということを支え続けているのが、浅田真央の挑戦し続ける精神なのじゃないかと勝手に思う。音楽にも、人間が到達できる「技術」の高みに挑戦しようとするアスリート的な精神もある一方で、舞台を継続して成り立たせるためにはどうしても、「客が呼べる」かどうか、という要素が絡んでしまう。興行としての音楽業界のダークサイドをグロテスクなまでに見せつけた佐村河内守の例を引くまでもないけれど。でも私は、せっかく、アマチュアという立場で音楽を作ろうとしているんだから、ストイックに音楽に向き合ってみよう、と思う。
 
スケート場の中央で、満席の観衆の視線に自らの全てをさらして挑戦し続ける浅田真央の姿は、オペラという舞台表現に向き合う私自身の立ち方にも、強烈な光を投げかけてくる気がするんです。浅田真央の演技には、人の生き方や、何かに対する姿勢を問い直す力がある。何かに向き合おうとする人に対して、
「逃げるな」
というメッセージを、自らの体を張って投げかけてくる、そんなアスリート。世界中のトップフィギュアスケーターたちすら、彼女を尊敬し、賞賛する。そんな稀代のアスリートと同じ時代、同じ国に生まれたことに、ただただ感謝。