全然客席に届かない

最近、この日記で、ガレリア座の練習のことをあんまり書きたくないんだなぁ。でも、自分を鼓舞する意味でも、ちゃんと向き合わないとね。この悲惨な現状に。

日曜日に、初の演出練習というのがありました。冒頭から、私の登場の歌までの演出がつきました。Y氏の演出は、時に幻想的なシーンを交えながら、その場面のツボをきっちり押さえた演出。やりたい放題のことをやっているようで、自己満足ではなく、お客様を楽しませよう、というサービス精神に充ちている。

私の登場の歌の演出も、ある意味シンプルです。色々動いているけど、そんなに大変なことをしているわけじゃない。でも、これをスタイリッシュに、すごく色んなことを大きくやっているように見せないと面白くない。こまこました動きじゃダメ。とにかく、自分の体に覚えこませるしかないので、通勤途中のイメージトレーニングをひたすら重ねていこうと思います。

歌については、ほんとに停滞状態です。脇で聞いていた女房が、「とにかく声が全然前に出てこない」と酷評。いつまでたっても、歌が飛ばない。

以前、ガレリア座で、「天国と地獄」という演目をやりました。お客様にはそれなりに受けたのですが、個人的には非常に不満の残る演目でした。全然ダメ。

何がダメって、歌も、芝居も、全部舞台の上でしか起こってないんです。客席に何一つ伝えようとしていない。舞台上で完結してしまってる。それでもお客様に受けたのはどうしてか、と言えば、PAのおかげなんです。ガレリア座の音響は、いつも、ワンダースリーという音響集団のKさん、という職人さんが、床に仕込んだマイクと、熟練の集音技術で声を拾ってくれている。だから、どんなに小さな声でも、どんなに客席に飛ばない声でも、なんとかお客様に届いたんです。

でも、そうやってPAで声だけ飛ばしても、お芝居や役者の意識が舞台上に留まっていると、それってすごくアンバランスな舞台になっちゃう。今回の「乞食学生」でも、新宿文化センターの1600人の座席の、最後列まで、自分の生の演技を飛ばすんだ、という意思で、お芝居も歌も鍛錬していかないとダメ。いくらPAで声だけを飛ばしても、結局は自己満足に終っちゃう。

分かってるんだけどなぁ。歌になっちゃうと、声がどんどん内向きになってしまう。もっと前に飛ばす、もっと開放的で愉快なイメージを持たないと。眉をひそめて歌ってちゃだめなんだよね。

しかし、一体いつになったら歌詞があがるんだ?